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【Researcher's Eye】
平高史也:多言語主義社会に向けて

2019/02/20

  • 平高 史也(ひらたか ふみや)

    慶應義塾大学総合政策学部教授 専門分野/社会言語学、外国語教育学

外国人材の受入れをめぐる議論が活発になっている。コンビニや飲食店で働く外国人を目にすることも多くなった。また、昨年は訪日外国人旅行者が3000万人を突破したとい う。来年は東京オリンピックが開催されるから、さらなる増加が見込まれる。

こうした中で「多言語化」がしばしば話題になっている。言語といえば、ほとんど日本語と英語しか取り上げられることのない日本社会では珍事とさえ言えよう。法務省が昨年末に発表した「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(概要)」にも「ハローワークにおける多言語対応の推進(11言語対応)」、「運転免許学科試験等の多言語対応」、「地域ごとの在留外国人の状況を踏まえた情報提供・相談の多言語対応」などと、「多言語」の3文字が躍る。

これらの計画が実現できるのかも心配だが、それより気になるのは、日本語母語話者の意識がほんとうに多言語化に向くのかということだ。もしかしたら一部の関係者、それも日本語ではなく異言語の母語話者が通訳や翻訳者として対応するだけになってしまうのではなかろうか。あるいは、ICTを活用した翻訳ソフトやアプリを、短期間滞在する外国人観光客が使うだけで終わってしまうのではないだろうか。つまり、大多数の日本語母語話者の多様な言語に対する意識や態度には、何の変化も起こらないのではないだろうか。

2017年に『多言語主義社会に向けて』(木村護郎クリストフ氏との共編著、くろしお出版)を出版した。小学校、高校、大学や放送メディアにおける多言語教育、移民の言語使用や母語継承、観光における多言語事情など、多言語化が進みつつある日本社会の実相を把握し、多様性、異質性、他者性を認め、尊重する多言語主義の理念を共有したいという願いをこめた。

定住外国人や外国人観光客の便宜をはかるための多言語化はもちろん進めるべきだ。しかし、より大切なのはこの社会の多数派である日本語母語話者がさまざまな言語の存在に目を向けること、それらの言語を学ぶようになること、そして、言語を異にする人たちに寄り添うことではなかろうか。その意味でも今後の多言語化の推移に注目していきたい。言語教育に携わる私たちの役割も大きくなっていくに違いない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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