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【Researcher's Eye】
河備浩司:手をうごかしていますか?

2018/11/08

  • 河備 浩司(かわび ひろし)

    慶應義塾大学経済学部教授 専門分野/数学(確率論、確率解析)

私の専門は数学で、主に確率論を研究していますが、研究上浮かんでくるアイデアの検証や詳細な計算は、ノートや研究室の白板の上で行います。また他人の論文などを通して新しいことを学ぶ際も、字面だけ追っても分かることはまずないので、とりあえず手をうごかして、定義、定理、証明をノートに書き写して眺めたり、簡単な例をちょこちょこと計算したりします。どうも私にとっては、手をうごかして紙の上に書く行為とモノを考えることは密接につながっているようです。

ここ数年の研究テーマの一つとして、三角格子や六角格子などを典型例とする結晶格子のような周期性をもつグラフの上のランダムウォークの長時間挙動を、学生時代からの友人の幾何学者と共に調べています。この研究が軌道に乗るまでお互いの大学を頻繁に行き来して議論しましたが、黒板に書いた六角格子の書き順が私と彼で大きく異なることにすぐに気がつきました。私は六角形をまず1つ書いてからこれを上下に平行移動したコピーを書き足していくのに対して、彼はまず正方格子を書いてから、各正方形の中に点を1つずつ置いて、その点を取り囲む正方形の三頂点と結んで六角格子を書いていました。当初は何とおかしな書き順をしているのだろうと思ったのですが、研究が進むにつれて、この書き順こそが結晶格子の「幾何学的に最も美しい実現」である調和実現を理解するための自然な書き方であると気がつき、目から鱗が落ちた思いをしました。これは論文や本の字面をただ追うだけでは浮かび上がって来ず、他人との議論を通して色々と手をうごかした末に分かったほんの些細なことですが、書き順の違いでこうもモノの見方がガラッと変わってしまうのかと驚きました。

この3月まで11年間在職していた岡山大学では、理学部数学科の学生相手に講義をしていましたが、複雑な図形や新しい数学的概念を導入する際には、板書の書き順に気を配っていました。現在は日吉で経済学部の学生に数学を教えていますが、やはり学生気質は大きく異なり、経済学を記述するツールとしての数学を要領よく勉強しようという学生が多い印象です。経済学部の学生にも、手をうごかすことで教科書の字面の裏にある数学の自由な考え方が浮かび上がるような講義を目指して、今後も試行錯誤が続きそうです。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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