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【Researcher's Eye】
青山敦:脳に観る「胡蝶の夢」

2018/07/17

  • 青山 敦(あおやま あつし)

    慶應義塾大学環境情報学部准教授 専門分野/脳情報学

「昔者(むかし)荘周夢ニ胡蝶(こちょう)ト為ル。栩々然(くくぜん)トシテ胡蝶ナリ。」

一般に「胡蝶の夢」として知られる中国(戦国時代の宋)の寓話の冒頭部分である。夢の中で蝶となった荘子(荘周)は、我を忘れて宙を舞っていたが、ふと目が覚めると荘子自身に戻っていた。果たして荘子は蝶となる夢をみていたのか、それとも荘子の姿こそが蝶がみている夢なのか。

荘子の思想は別として、この問題は脳が果たす役割を考える上で非常に興味深い。実際、我々が経験する豊かな世界は、感覚情報として一旦バラバラに分解された真の世界を脳内で再び組み立て直したものに過ぎない。真の世界を構成する情報が取得できなかったり、他の情報と矛盾していたり、はたまた何らかの理由で無視されたりすると、脳は自らにとって都合が良いように世界を解釈してしまう。したがって、真の世界と再構成された世界は少なからず異なり、我々が知り得るすべての事象は、脳によって作られた「胡蝶の夢」である可能性がある。

従来、このような脳機能の仕組みに迫ることは技術的になかなか難しかった。しかしながら、脳の活動を頭の外から精緻に計測する技術が発展したことによって、その断片を垣間見ることが可能になってきた。例えば、我々は時々刻々と変化する世界に対して時間のずれを認識することはないが、脳内では再構成処理が完了するまでにコンマ数秒の遅延が存在する。つまり、我々は最大でコンマ数秒遅れた世界を現在の姿だと錯覚している。また、バラバラに分解された世界を組み立て直すにあたって、脳はどの情報とどの情報を結び付けるべきかを把握している。仮にこの結び付けのルールが適用できない未知の環境に人間が曝されたとしても、長期的な学習によって新たなルールを獲得し、環境に対して柔軟に適応してしまう。

以上のように、真の世界と再構成された世界の間には、中間過程としての巧妙な脳情報処理が存在する。したがって、SF作品のように脳情報処理を外的に操作してしまえば、真の意味での「胡蝶の夢」が実現できると考えられる……と筆を進めつつ、はたと考えるのである。この文章を執筆していること自体も「胡蝶の夢」ではなかろうかと。

※所属・職名等は当時のものです。

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