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【Researcher's Eye】
前田廉孝:史料は足で稼ぐ

2018/07/13

  • 前田 廉孝(まえだ きよたか)

    慶應義塾大学文学部准教授 専門分野/日本近現代史

4月に懐かしい三田の山へ戻ってきた。それまで5年間は、福岡市で教鞭を執っていた。食塩の生産・流通・消費と塩専売制度に関心を寄せる筆者は、史料調査のために食塩の主産地たる瀬戸内地域へは院生時代から頻繁に赴いていたが、福岡市で勤務を始めた当初に食指が動く史料は周辺で見当たらなかった。しかし、どうにか地元に所蔵される一次史料で論文を書きたかった。なぜなら、それが地方大学に勤務する歴史研究者にとってのアドバンテージだからである。

近現代が専門の歴史研究者はデータベース、オンラインアーカイブズを駆使するが、使用料が高額なゆえに導入できる大学は限られる。ところが、優れた研究環境に身を置いたとしても、必ずしも優れた論文を書けるわけではない。それは、歴史研究の基本が一次史料の丹念な発掘にあるからだ。地方の大学では、東京の大学までは伝わらない地元の史料に関する情報が、人づてに伝わってくることも少なくない。この情報を歴史研究者として利用しない手はない。そこで筆者も、同僚から得た情報に基づいて、福岡市中心部の天神から電車とバスを1時間以上乗り継いだ郊外で史料調査を始めた。

福岡県は、明治後期において瀬戸内海沿岸の諸県に次ぐ製塩量を誇り、明治40年代初頭まで福岡市で家庭用に消費された食塩は主に県内産であった。そうした地元で流通する食塩を明治30〜40年代に生産した小さな製塩会社に関する史料が筆者の調査対象であった。同社の特筆すべき特徴は、明治38年に導入された塩専売制度の下で食塩の密造・密売に手を染めたことである。その原因は、同制度下で政府が食塩の買上価格を過剰に低く設定したことにあった。塩専売制度下の密造・密売は、アジアでも中国、インドなどで発生したが、主産地(瀬戸内地域)での発生頻度が低かった日本の事例はあまり注目されてこなかった。しかし、この史料は製塩会社が密造・密売に手を染めるまでの生々しい経緯を豊かに示し、筆者の研究を大いに進展させてくれた。

史料は足で稼ぐ。歴史研究に欠かせない作業の重要性を再確認できたことは、福岡市で生活した5年間に得た貴重な経験であった。東京タワーを望む大都会のキャンパスに身を転じたいま、改めて肝に銘じたい。

※所属・職名等は当時のものです。

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