【写真に見る戦後の義塾】
幻の門の思い出を辿る
2021/12/22

1998年10月

創立100年を機にキャンパス南側に現在の正門が造られるまで、「幻の門」は慶應義塾の正門として長く親しまれた。その誕生は1913年にさかのぼる。旧島原藩中屋敷の木造の門を改造し、左右に花崗岩の門柱を4本備え鉄の門扉が取り付けられたこの門は、応援歌「幻の門」(堀口大學作詞、山田耕筰作曲)にも「幻の門ここすぎて叡智の丘に我等立つ」と歌われている。門から見上げる図書館の姿とともに塾生の脳裏に残る三田の風景となっていた。その後、戦時下の金属類回収令により鉄扉が供出させられ、木製の扉に替えられたが、腐食が目立ってきたことから、1981年11月、アルミ製の門扉に取り替えられた。戦前の写真や図書館の玄関の意匠などを参考にデザインされた美しい門扉を記憶されている方は多いことだろう。2000年、東館の竣工に伴い東門が新たな形となると同時に、幻の門は門扉をはずされ、石柱と馬留石が左手の坂の途中に移設された。門扉の上部が東館からの陸橋の壁面機械室の扉に転用されていて往時をしのぶことができる。
(文・構成 石黒敦子)
1947年5月24日

戦禍に見舞われた三田山上での創立90年記念式典からお帰りになる天皇陛下の御車。
1957年10月7日
インドの初代首相で外相でもあるネルーが来塾、義塾4人目の名誉博士称号が授与された。幻の門には日章旗とともにインド国旗が掲揚された。


幻の門から帰路につくネルー首相の車を取り囲む学生たち。
1964年5月

幻の門にはたくさんの催し案内が立てかけられている。
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