三田評論ONLINE

【写真に見る戦後の義塾】
1960年 アデナウアー西独首相の来塾

2020/07/29

三田演説館で挨拶する首相
三田山上から見送られるアデナウアー首相一行

1960(昭和35)年4月1日、第2次大戦で荒廃したドイツ連邦共和国(西ドイツ)の復興に大きな役割を果たした、コンラート・アデナウアー西独首相が来塾した。前月25日からの、国賓として訪れた最初で最後の来日の最終日にあたり、三田滞在はわずか45分であったが、演説館での名誉博士学位記授与をはじめノグチ・ルームでの茶の湯接待(茶道部が担当)など慌ただしくスケジュールをこなしている(詳しくは、本誌「義塾を訪れた外国人」第13回、2017年2月号参照)。

アデナウアー一行が車で出入りした正門(南門)はその前年1959(昭和34)年5月6日に南校舎の完成に伴い、設けられたもの。應援指導部演奏の「若き血」に見送られる首相の車の先には数多くの一般の人も詰めかけ、塾内の人だかりと併せて、この来塾が注目されていたことがうかがえる。車寄せとなっている、真新しい南校舎前のきれいな楕円形の前庭が、新鮮な感じを与えている。

三田演説館壇上では奥井復太郎塾長(当時、以下同)、小泉信三評議員会議長、松本信広文学部長、石丸重治常任理事らの塾関係者とハース駐日ドイツ大使らの前で首相は約15分、日独両国の連携の重要性を説いた(演説文の邦訳は本誌588号〔1960年〕に掲載されている)。

現在も三田演説館に掲げられている福澤諭吉演説姿立像(松村菊麿画)は、このアデナウアー首相来塾を機に神戸慶應倶楽部から寄贈されたものである。もともとこの画の原画は和田英作が描いたもので、戦前、三田の大講堂にあったが戦災で焼失。和田の弟子であった松村がそれを模写し、神戸慶應倶楽部のルームに掲げられていたという経緯があった(松崎欣一『語り手としての福澤諭吉』慶應義塾大学出版会参照)。

1958(昭和33)年に創立百年を迎え、新しい建物が次々と建設される変革期に義塾を訪れたアデナウアー首相。戦後の義塾の発展を語る1コマに相応しく映し出されている。

(編集部)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事