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【パリ2024オリンピック・ パラリンピックでの塾生・ 塾員の活躍】メダリスト インタビュー

2025/02/20

パリオリンピック 3位決定戦(写真 共同通信)
  • 尾﨑 野乃香(おざき ののか)

    パリ2024オリンピック 女子レスリング68㎏級銅メダル・環境情報学部4年

どん底からのオリンピックの切符

小学校の頃からレスリングをしています。その頃は日本の女子レスリングはすごく強くて先輩方がオリンピックで金メダルをとっていたので、自分にとってのロールモデルになっていました。ですので、その頃から「オリンピックに出たい」と言っていましたが、本当に目指せるかなと思ったのは、高校に入るタイミングでJOCのエリートアカデミーに入れていただき、ナショナルトレーニングセンターで生活するようになってからです。

そこで、実際のオリンピアンの姿を見たり、そういった先輩方と練習するようになったことで、どれだけ本気で練習しなければならないかを学びました。そして高校生になってから、自分も着々とレベルを上げて、世界で活躍できたこともあって、オリンピックは遠いものではないのかな、自分にもチャンスがあるのかなと思うようになりました。

今回のパリオリンピックでは、当初私は62㎏級で代表を目指していたわけですが、国内選考会で負けてしまったのです。その時はどん底で、一番苦しかった時でした。

それが、68㎏級の選手が世界選手権の3位決定戦で敗れて代表内定の条件を満たすことができなかったため、枠が空いたのです。それまで絶望的だったのが、私にもチャンスが来たと思い、そこから前向きになることができました。そこから代表選考の試合にあらためて取り組みましたが、それはきついけど楽しかったです。絶望していた時期が一番苦しかったですね。

世界選手権の会場で、その選手が負けた試合を見ていたのですが、彼女が負けてしまった時、人生何があるか本当にわからない、これは自分が摑むものなんだという感じがしたのです。もともとどの階級でも勝負しよう、と思っていたので、階級を上げることに迷いは全然なかったです。

日本での代表選考の試合まで2カ月くらい時間があったので、その間4キロくらい体重を増やしました。だから代表を決めた時は、68キロはなかったんですが、その状態でいい動きができていたので、感触的にも大丈夫でした。

68㎏級の代表決定戦のプレーオフも激しい試合となり、残り10秒で逆転されてしまいました。あの時のことはあまりよく覚えていないのです。すごくあせってはいたんですが、まだ何か一つやる時間はあるなと思い、そこで自分のやるべきことを決め、前向きな気持ちになれていた自分がいたのだと思います。そして、再度逆転して、パリへの切符を摑むことができました。

未知の世界へ挑んだオリンピック

直前に階級変更をしましたので、私は世界の68㎏級の選手とは、ほとんど試合をしたことがなかったのです。オリンピックまでにアジア選手権があり、そこで対戦した、その後に五輪でも対戦するモンゴルの選手が唯一、戦ったことがある相手でした。出場選手16人のうちの残りは触ったこともない選手でした。

そのことは、自分のことも知られていないというメリットがありますが、相手がどんな選手なのか、どのくらいの力があるのか未知の世界でした。階級を上げると、どのくらい力の差があるものなのか、ヨーロッパの選手も知っておきたかったけれど、それは仕方がなかったことでした。

対戦ができないかわりに未知の選手への研究として、いろいろな選手の動画を見て、この選手とはこういうふうに戦おうと、イメージトレーニングを重ねていました。

実際、オリンピックでは準々決勝で負けてしまったので、分析が足りない部分もあったかもしれませんが、勝負というのは、実力差だけではないと思っています。今までやってきたことに意味がないとは思いたくないので、自分の中では全力を出し切ったと思っています。

本当に金メダルを目指していたので準々決勝で負けたことは悔しいのですが、よく考えれば、10カ月間で階級を上げて銅メダル取ったということは、よくやったとも言えると思うし、本当は金メダルなら百点でしたが、銅メダルが取れてよかったと思います。

準々決勝で負けて、敗者復活戦から3位決定戦に回ったのですが、私が負けた選手が決勝戦に上がるかどうかは夜までわからなかったので、それまでは結構落ち込んでいました。でも、3位決定戦に回れるとわかってからは、結構はやく気持ちを切り替えられました。決勝戦じゃなくてもメダルがもらえれば素晴らしいのだから、そのチャンスを生かそうと、試合となったら切り替えられたという感じです。

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