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【パリ2024オリンピック・ パラリンピックでの塾生・ 塾員の活躍】メダリスト インタビュー

2025/01/22

決勝でアンカーを任される

決勝イタリア戦でアンカー(最後に戦う選手)を任せると言われたのは、試合の2時間前です。僕は2年前から団体戦メンバーに選ばれていましたが、この間、アンカーをしたことは一度もありません。まさかそんなことを言われるとは思っておらず、とてつもないプレッシャーにかられました。

でも、僕以外のメンバーが「一輝なら大丈夫だよ」と言ってくれました。僕がアンカーに抜擢されたのは相手のイタリアのアンカーのランキング1位の選手と相性が良かったからです。結果的には8試合目で永野選手が5-0と差をつけてくれたので楽に戦えました。決勝の3試合とも僕は楽しく戦うことができ、いつも通りの自分のプレーができたかなと思います(5-4、7-3、5-2でいずれも勝利。日本は45-36で優勝)。準決勝の時のような苦しさはなかったですね。

団体戦は世界ランキングも1位だったので金を取りに行ったのですが、本当に取れると思っていなくて、最後の瞬間、頂点に立ったんだという感情と、「取っちゃった」という安堵感が混じっていました。ただただ鳥肌が立ち、耳が割れるくらいの拍手を浴びている時間でした。あの瞬間を超える高揚感、満足感を味わうことは今後ないのでは、と思いました。

それから3カ月ほどが経ちましたが、金メダルをとったことで自分の価値観や生活が変わったということはないです。僕たちアスリートが目指すのはやはり4年に一度のスポーツ界の頂点で、その舞台に対する想いは今でも変わりません。個人戦では4位に終わり、悔いの残る試合をしましたので、燃え尽きてもいませんし、まだまだロスオリンピックでは上を目指したいと思っています。

オリンピックでは、「スポーツの素晴らしさを感じました。感動しました、勇気をもらいました」という言葉を多くいただきましたが、それらはすべて、自分のほうが多く感じているのではないかと思っています。スポーツを通じて、応援する皆とつながり、一体感を感じ、応援の力を実感しましたし、皆さん以上に僕が感動したと思います。スポーツの力をオリンピックを通じて学ぶことができました。それが今回オリンピックに出て得た一番のことです。

また、選手村の雰囲気は、想像していたものとは違い、とてもピリピリしていて、独特の緊張感、空気の重さがありました。これが頂点を目指す選手たちだけが集まっている場、特有のものなのかと思いました。

学問とフェンシングの両立

慶應に行って、フェンシングをやろうと決意したのは高校2年の冬のことです。幼い頃から勉強とフェンシングの両立は考えていました。フェンシングはマイナースポーツで、それだけでは将来食べていけないとわかっていたので、少しでも自分の中の可能性を引き出してくれる人や環境に触れたいと思っていました。そう考えた時、それらすべてを満たしてくれるのが慶應のSFCだと思いました。

SFCは自由で、自分のやりたいことを模索しながら様々なことを学べます。ユニークな人が多く、多くの分野で成功されている人もいる。いろいろな人に出会いたいと思っていたので、自分に一番合っているところだと思いました。実際入学後にいろいろな人と会話をする中で、自分の可能性が引き出されてひろがっていき、自分の中でよい相乗効果が生み出されていると思っています。

今年度はスポーツ系とビジネス系、組織の回し方、など自分の将来につながるような勉強をしています。遠征で時間のやりくりをするのは確かに大変なのですが、やるやらないは自分次第だと思っています。春学期履修した科目の最終課題も、選手村に入ってから提出しました。いくら忙しくても自由になる時間はあります。移動時間や滞在先のオフの時間などの使い方次第で、プラスにもマイナスにも働きます。そのことに中学時代の遠征で早めに気づけたことがフェンシングと勉強を両立する軸になったのかなと思います。

慶應の伝統を引き継いで

慶應のフェンシング部は、僕が金メダルを取った後でも、僕のことをオリンピックの金メダリストだと遠ざけるのではなく、「どういう練習をしているのか」と積極的に聞き、コミュニケーションを取ってくれます。僕が金メダリストとして提供できるものを上手く皆の意欲と合致させることで、チームが回っているなという実感があります。やはりそれは慶應という場所でないと難しいことなのではないかなと思います。

慶應ならではのタテヨコのつながりも大きいですね。つい先日もOBの方と食事に行きましたが、祖父くらいの年代の方々が、本当に気さくに接してくださって、優しさがにじみ出ていました。そういった雰囲気を伝統として作ってきたのが慶應なのかなと思いますので、その伝統は僕たちも引き継いでいきたいと思います。一貫教育校の小学生もキラキラとした目で見てくれます。僕が太田さんに憧れたように、今度は僕が憧れられる立場になったんだと実感します。

オリンピックを通じて大事だと思ったことは、「今を楽しむ」ということです。未来も今を刻んでいくことでしか生まれません。また過去にとらわれていたら今がおろそかになってしまう。これはスポーツだけでなく、学業や社会においても同じだと思います。今のこの状況を楽しんで一生懸命刻むことができれば、未来はよくなると思っています。

(聞き書きにて構成。聞き手=慶應義塾常任理事[体育会担当]山内慶太君)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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