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【KEIO Report】慶應義塾志木高等学校75年記念式典をむかえて

2024/05/20

開設75年事業の一環として竣工された「光彩館」
  • 森岡 崇(もりおか たかし)

    慶應義塾志木高等学校主事

去る3月9日(土)、本校新校舎「光彩館」内ホールにて、慶應義塾志木高等学校75年記念式典が執り行われました。本校も開設以来75年を迎えたことになり、多方面からのご理解とご協力に、あらためて感謝を感じる式典となりました。

そもそも慶應義塾志木高等学校(以下志木高)の沿革については、本校ウェブサイトで次のように紹介されています。

「1947年9月、慶應義塾の塾員で、日本の電力開発に最も大きな功績を残した松永安左ヱ門氏(1875-1971)から、財団法人東邦産業研究所の土地と建物が慶應義塾に寄贈されました。それを受けて志木の地に移転してきた慶應義塾獣医畜産専門学校を基礎として、翌1948年5月に開校したのが、本校の前身である慶應義塾農業高等学校です。その後、同校は1957年4月に普通高校に転換、同時に慶應義塾志木高等学校と改称され、学校長の推薦によって卒業生のほぼ全員が慶應義塾大学に進学する全日制普通科の男子校として今日に至っています」。

松永安左ヱ門の志によってその端緒が開かれ、このたび75年という記念すべき年を迎えることができました。

その間、ここが高校生たちの生活の場であったことは忘れてはならないことだと思います。これまでこの地では、75通りの「志木高生」が在籍し、また75通りの「志木高生活」が送られてきたことになります。私は今年で志木高勤続30年、75年の半分弱を今ものぞかせてもらっていることになります。ある種「定点観測」していることになりますが、その中で感じることがあります。それは、それぞれの学年毎の「志木高らしさ」があっても、その中身はとても多様・多彩であること、もうひとつは、それでも学年にかかわらず共通する「志木高らしさ」が確実にある、ということです。

広大な敷地の校内では、今も時間はのどかに流れています。敷地で活躍するのは体育の授業や部活動ばかりではありません。そこではたとえば国語の授業で俳句をつくりながら散策し、美術の授業では絵を描くために思い思いの場所を選び、あるいは有志によって畑や田んぼが切り開かれ、生徒たちの時間が流れていきます。キャンパスにはまさに浮世離れした、とでも言うほかない時間・空間が広がっています。そして生徒たちはいまも相変わらずこの広いキャンパスでゆったりと生活をしています。そんなかれらの生活は、生徒たちの人となりに静かに、でも確かに影響を与えつつ、この地に着実に堆積し、「志木高らしさ」として後輩たちに受け継がれています。

では75年間、連綿と受け継がれている「志木高らしさ」とは何でしょうか? それは志木高に関わる方一人一人が言葉にするしかないことかもしれませんが、私なりに言葉にすれば、その中心には間違いなく「自由」という言葉が来ると考えています。

一人一人のありよう、ユニークさをお互いに尊重しあい、各自が自分のありようを自由に表現できるところ。

こんなところでしょうか。志木高開設当初の卒業生の方々とお話をしても、同様のイメージを思います。この雰囲気、校風は、私どもの宝であり、また一貫教育の中の志木高を考えたとき、慶應義塾の宝なのではないか、と自負しています。

戦後の混乱期から昭和・平成・令和へと時代が変遷してゆく中で、その時々の時代の波を受けながらも「志木高らしさ」を失わず、75年を迎えた今年、それを祝う式典を執り行うことができたことを、感謝と共にあらためて嬉しく思います。

式典当日は雲一つない晴天に恵まれました。志木高等学校ワグネル・ソサィエティー男声合唱団による塾歌演奏に続く髙橋美樹校長による式辞の後、伊藤公平塾長、坂上隆彦志木会会長から祝辞を賜りました。また記念事業「光彩館」の落成経緯を森岡よりご報告させていただき、生徒会長夏天碩君より生徒会が作成した「75年記念動画」の紹介・上映をもって、式典は終了いたしました。その後は舞台を屋外に移しました。晴天の下、岩沙弘道評議員会議長、麻生泰連合三田会会長にもご臨席賜り、山内慶太常任理事のご挨拶をいただき記念植樹が行われ、行事は無事終了いたしました。

本校では75年を迎えるにあたり、これまでの教育を振り返るとともにこれからの志木高の向かうべき方向として、「多様な『交際』ですすめる『数理と独立』の教育」を掲げました。『福翁自伝』に典拠を持つ「数理」は、ややもすると浅薄な道具的概念と誤解されてしまいかねない「実学」と区別する意図をもっています。この志木高の理念に対し、本当に多くの方々のご理解を賜ることができました。

不況、円安、戦争、天災……この困難な状況の中、志木会を中心に募金にご協力くださった方々には、感謝のしようがありません。このたびの75年式典をその志によって建てられた光彩館ホールで執り行うことができましたことも、大きな喜びでした。

光彩館エントランスでは、卒業生の大山エンリコイサム氏の壁画が、入館する方々を迎えます。氏の作品はキャンバスの枠を越えて直接壁面に、さらに建物の外壁にまで、越境して広がっています。様々な既成概念、ボーダーを越えてゆかんとするその勢いは、これまでの志木高校、これからの志木高校、それぞれの姿が重ね合わさったもののように思えてなりません。

その志とともに、私どもはこの光彩館を受け取りました。この場を使ってどんな教育がなされてゆくのか、次は私どもが教育実践でそれを示してゆくことになります。このたびの式典では、その思いを改めて感じるとともに、その責任の重さも再確認する場となりました。

新たな時代に漕ぎ出しながら、来る100年、150年……慶應義塾志木高等学校が「志木高らしさ」を大切にしながらもどのような学校となってゆくのか、温かく見守っていただけますとありがたく存じます。

大きな節目を迎えたこの折、感謝と共にご報告申し上げます。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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