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【KEIO Report】社会に開く創造的な小窓──アート・センター開設30周年を迎えて
2023/11/10
1993年10月、慶應義塾大学アート・センター開設記念式典が図書館旧館の大会議室で開催された。それから30年――「三十にして立つ」の言葉を思えば、新しい研究所として出発したアート・センターも本来なら成熟した大人の歩みを進める段に達したと言ってもよいだろう。
アート・センターは現在、三田キャンパスの正門から桜田通りを挟んだ南別館に位置し、1階が小規模な展示室、2階がオフィスとなっている。この場所に着地したのは2011年秋のことで、最初は小さな執務室一室から出発したと聞いている。その後、幾度か場所を変え、慶應女子高等学校脇にある西別館3階にしばらく落ち着いた後、現在の場所に至った。西別館にしろ、南別館にしろ、三田キャンパスに接しながらその外郭にあるという地理的なポジションはアート・センターの活動と役割を象徴してもいるだろう。大学の研究所でありながら、常に外に開かれている存在だからである。実はアート・センターの特徴はその活動がある意味で柔軟に変化してきたことにある。
設立当初には、全国の大学に先駆けてアート・マネジメントに取り組み、大きな注目を集めた。大学の範疇を超えて、地方自治体の委託事業などに展開し、地元港区との数年にわたるアート・マネジメント実践プロジェクトにもつながった。地域社会における大学の役割について、広く論じられるようになっている今日、その先駆的活動であったとも言えよう。地域社会とのつながりは「都市のカルチュラル・ナラティヴ」として、形を変え更に多様化して、現在も継続している。
開設5年目には、土方巽資料の受入を契機として後にアート・センターの基幹的な活動となるアーカイヴが発進した。アート・アーカイヴの取り組みは当時先進的なものであった。現在ではアーカイヴの重要性や意義は広く認知されているが、十数年前には、まだ、その意義を広める活動の最中に居たことを思うと隔世の感がある。アーカイヴ活動はデジタル環境の発展時期にも重なり、幾つもの大学らしいプロジェクトが試行された。アーカイヴに対するトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、研究と実践をともに行って来た。アーカイヴの実践の現場であり、かつそれについて思考し、研究し、教育も行う(2006年よりアート・アーカイヴ講義を開講)場なのである。アーカイヴにとどまらず、理論的な研究を行いながら実践活動を併走させる姿勢はアート・センターの活動の中核にある。このような姿勢をもつことによって、常に今日的な動向や問題提起を活動に反映させてこられたと言えよう。
さて、開設以来学内各所で展示を行って来たアート・センターであるが、2006年以降は東館展示室を中心に定期的に展覧会を開催し、2011年に南別館の常設展示施設の管理運営を担うに至り、ミュージアム的な活動が可視化されていくことになる。2013年には博物館相当施設として認定され、学芸員資格課程の根拠施設として大学教育に寄与している。改正博物館法が今年4月に施行され、全ての認定施設に再申請が求められているが、設置要件の緩和を受けて登録博物館を目指すべく準備中である。作品管理の側面では、2002年に発足した美術品管理運用委員会の事務局を管財部とともに担い、一貫教育校を含めた慶應義塾の美術品の保存や修復に努めて来た。大学や学校が所蔵する美術品のケアはその所蔵・所管の複雑さから、困難も多く、多くの大学で課題となっている。この委員会の在り方はひとつの解決策として、他大学からも注目されているところである。隔年で行っている野外彫刻の洗浄保存活動も、20年程継続する中で最初は三田キャンパスだけであった範囲が大学の各キャンパスから一貫校にまで拡がり、児童生徒が一緒に洗浄作業を行うなど活動自体の広がりもみせている。展示に目を向けると、2011年以降、年間4-6本程度の展覧会をコンスタントに開催してきた。所蔵品とも言えるアーカイヴ資料の展示を行い、アーカイヴ活動に触れてもらう機会の創出にも努めている。また、45平米という小さな空間を生かした個性的な現代美術の展示も展開している。同時代の作品に触れる機会を学生に提供することは、大学施設としての重要な役割だと考えているからである。
芸術を射程とした活動を多岐にわたり展開してきたアート・センターであるが(詳細はホームページを参照)、根底には設立趣意に述べられている「芸術と現代社会の関係についての探究」ということがあり、掲げられた5つの基本理念(人間教育、トランス・アート、発信型、学際的、オープン・フォーラム)は常に意識されている。その活動が柔軟に変化して来たことがアート・センターの特徴であると最初に述べたが、言ってみれば、活動の範囲や在り方を守るのではなく、この基本理念に掲げられているように領域横断的で、新しい価値や観点を模索し、専門性をもちながら、開かれた創造的な場を志向すること。そして、それを発信し共有するマインドを持ち続けたがゆえに、活動は変化して来たのである。それは理論研究と実践活動をともに行ってきたからこそ実現し得たことでもあった。
やはり成熟した30歳の歩みとは、別の姿なのかもしれない――ポジティブには、これまで述べてきたように、変化を恐れない創造性を保持し続ける姿勢において。しかし、残念ながらそこにはネガティブな意味も含まれている。安定的な運営が確保できない状況の中で常に経営的努力と多くの協力を得ながら何とか成り立ってきたことは否めない。辛くも30年持ちこたえて継続することができた、と言う思いもまた事実なのである。これから40年、50年を無事迎えることができるのか。社会においてウェルビーイングなどの観点からも芸術の意義と役割がさらに注目される状況下において、現代社会と芸術の関係について探求し続け、大学にあって外に窓を開き、発信して来た小窓とも言えるアート・センターの存在はどうなっていくのか。ここではある意味、慶應義塾という大学が、現代社会においてアートをどう考えるか、という姿勢を問われているのではないだろうか。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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渡部 葉子(わたなべ ようこ)