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「拝謁記」に見る昭和天皇の基礎科学観

2023/04/10

1949年に湯川秀樹が中間子理論によって日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞したときには、昭和天皇の喜び様に接していた田島が、当時ニューヨークのコロンビア大学に滞在中の湯川に宛て、お祝いの言葉と一緒にその時の天皇の様子を書き送っている。

田島道治 湯川秀樹宛書簡
(京都大学基礎物理学研究所湯川記念館史料室所蔵)

拝啓 未だ拝顔の栄たまわらず候えども、ご芳名は予ねて拝承いたし候ところ、今回は絶大のご栄誉お受けあそばされ、慶賀この事にござ候。ご受賞後、小川博士等とお話しご模様も放送により明瞭に拝聴、益々お元気ご活躍のほど、欣仰の至りに存じ候
小生は、昨年、松平子爵の後をうけ、宮内庁長官拝命いたし候次第にて、今回の発表を新聞紙上にご覧遊ばされ候其の日── 十一月三日文化の日──、天皇陛下に拝謁の際、非常にお喜びのご様子を拝し候のみならず、侍従長にもお喜びのお言葉お繰り返しの旨うけたまわり候上、翌四日、スポーツ関係の人々を召させられ候お茶の会席上、「朗報朗報とよくいうが、湯川博士の受賞こそホントの朗報だ」との旨、お話これあり、一同爆笑とともに感激いたし候ことの至り、この事は旧友前田多門君にも話し候あいだ、既に同君より通報これあり候ことも存じ候えども、陛下ご満悦のご様子を近く拝し候者として、お報せ申し上げ候ことは、最も欣幸と存じ候ことにて、一書あいしたため候しだいにて候
なにとぞ学問の道、ますますご加餐遊ばされ、文化日本の実証として御業績之上ニ愈光輝しめん事千祈萬祷致候
尚御帰朝之上親敷学界近状等御進講頂き候日の一日も早らんことを期待し且念じ居候向寒之折柄御自愛専一ニ願上候
先ハ右申上度如此候頓首
十一月十一日  田島道治
湯川博士殿

    玉案頭 

(原本は墨書き 京都大学基礎物理学研究所 湯川記念館史料室保有s03-21-037  翻刻:五島訓代 五島敏芳)

これに対して、湯川から田島宛の返信では、感謝の言葉とともに昭和天皇が科学に対して造詣が深いことは、戦後平和的な文化国家日本を再建するために心強い、ということが述べられている。

拝復 今回小生ノーベル物理学賞を受領致すことと相成りましたにつき早速御鄭重なる御祝詞を頂戴致し誠に有難く感謝の至りに堪えません 今回の受賞は學徒として望外の名譽でありまして小生に取りましてこれ以上嬉しいことは御座いませんが それにも増して感激いたしますことは日本国民の皆様方が衷心よりわがことのように嬉んで下さることです
殊に御手紙によりますれば今回の発表に對し天皇陛下にも非常に御満足の御趣き日本人の一人として實に感激の至りであります かねてより御自ら科學者として生物学の御研究に深き御造詣を御持ち遊ばす御方として一入(ひとしお)科学に深き御理解を有せられますことは当然ながら今後平和的な文化国家を再建致します途上にあります日本に取って誠に心強きことで御座います

小生の研究はまだまだ完成の域に遠くアメリカにあると日本にあるとを問わず前途多年に亘って努力を積まねばならぬのは勿論でありますが今回の発表が日本の科学者初め一般の方々に多少なりとも良き刺激となりましたらば小生に取りましてこの上もなき仕合せであります 来たる十二月七日にはストックホルム宛出発致し十日の授賞式に参列致すべく公私とも多忙を極めておりますが取り急ぎ航空便を以って厚く御礼申し上げる次第で御座います
十一月二十一日
ニューヨーク コロンビヤ大学にて  湯川秀樹
田島長官殿

湯川もまた仁科と同じく、応用科学はしっかりとした基礎科学の土壌がなければ枯渇することを主張していた*3。敗戦で日本が打ちひしがれている中、田島が湯川に宛てた書簡にあるように、日本人の、それも基礎科学の研究者に対してノーベル賞が与えられたことに昭和天皇は非常に大きな喜びを表していて、天皇の「はしゃがんばかりの気持ち」が候文から伝わってくる。「拝謁記」には、さらに湯川帰国後の表彰の仕方や賜物に対してまでも、直接、昭和天皇が気を遣っていたことが記されている(1950年4月19日条、同年8月10日条)。

昭和天皇の言葉で言えば「直ちに利益にならぬやうな」科学を奨励しなければ、ということは現在でも問題になっている。例えば基礎科学を目指す若手の研究者が、落ち着いた環境で研究出来る場所が著しく少ないので、優秀な人材であっても初志を貫徹できず企業などの応用研究に方向転換せざるを得ない状況がしばしば起こっている。このようなことでは基礎科学の「奨励」というには程遠く、近い将来日本からノーベル賞受賞者がいなくなるという危機感もよく言われている。だが、やはりそれでも目先の利益が優先され、すぐには役立たないものを奨励することに対しては政治家や官僚の動きも鈍く、社会的にもあまり関心がないように見えるのは、この2つの書簡に共通にある文言である「日本の文化」発展のためにも残念なことである。

湯川秀樹 田島道治宛書簡

〈謝辞〉
田島から湯川への書簡の存在は小沼通二氏(慶應義塾大学名誉教授)から知らされ、コピーや翻刻文も送っていただいたので感謝する。

〈注〉

*1 田島道治については『昭和天皇拝謁記』第1巻(岩波書店 2021)に解説者の古川隆久氏や筆者による記述があるが、加藤恭子『田島道治 昭和に奉公した生涯』(TBSブリタニカ 2002)に詳しい。

*2 黒沢大陸 「戦争中でも科学者は基礎科学の大切さを訴えていた」(「論座」2021年12月7日)

*3 小沼通二 『湯川秀樹の戦争と平和』(岩波ブックレット2020)29頁

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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