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【From Keio Museums】関東大震災直前の三田キャンパス模型

2023/02/21

1915年竣工の大講堂(震災後の外観変更前)付近
当時の正門(幻の間)と図書館付近
縮尺1/285(慶應義塾史展示館常設展示)

三田通りから、図書館八角塔を仰ぎ見ながら幻の門の坂道をくぐって丘の上に出ると、眼前には福澤先生の時代のままの三田演説館、その左に旧塾監局の赤レンガ建築。塾監局前を通って右に折れると両側に木造校舎が建ち並ぶ、いわばメインストリートが開ける。大銀杏、その先の正面に塾生に愛され、慶應座とも呼ばれた大講堂の姿をのぞむ。キャンパス東南隅には福澤家の和風邸宅が広がり、北西側には医学部予科、西側の崖下は幼稚舎、さらに現在中等部が建つ位置には普通部が建っている。

当時慶應義塾の施設は、信濃町の医学部(本科)と病院、現在幼稚舎がある天現寺に寄宿舎があったほかは、すべて三田に所在していた。ここに再現した建物で現存しているものは、図書館と三田演説館だけである。資産の乏しい私立の悲哀で、大部分を占める木造建築はあっちこっちに移築を繰り返し、この後山中湖に移ったものもあれば(第3館)、日吉に移された後、戦後また三田に戻って、中等部の最初の校舎の1つになった建物(第4館)もある。塾の外国人教師は「日本の不動産は動産だ」と言ったとか。

学校史の展示において、校舎の話題は、定番の内容であろう。一方、卒業生で無ければさして興味を感じないのも事実である。そこで、そのもの・・・・に魅力がある模型の展示を選択した。現存する航空写真の最も古いものが1923年で、関東大震災によって福澤生前のキャンパスの面影はほとんど無くなってしまうため、この時点を再現することに決めた。

復元の苦労については、以前福澤研究センター調査員白石大輝氏が本誌に詳しく書いた(2021年2月号)。わからなくても窓の数、壁の色を決めなければならず、校舎の裏側や、当時は悉く校舎の外にあった便所などは「えいっ」と推定するしか無かった。

再現された空間の中に慶應義塾の歴史の何が見えるか。かつて歌人が詠んだ沈丁花やノウゼンカズラもさりげなく再現した小世界を、是非「体験」して頂きたい。今年はこの風景が失われた関東大震災から、ちょうど100年である。

(慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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