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【From Keio Museums】嘆願書下書と、福澤諭吉像と──長沼事件をめぐる新資料

2022/12/12

歴史研究の醍醐味は、新しい資料との出会いである。慶應義塾史展示館の秋季企画展「福澤諭吉と『非暴力』──学問のすゝめ150年」(会期: 2022年12月17日まで)にあたっても、印象深い資料たちとの出会いがあった。

この展覧会では明治5年に発生し、28年の歳月を要して解決した「長沼事件」を大きく取り上げた。事件の経緯は10月号の本誌に記した。千葉県にあった「長沼」という沼の所有権を一方的に国によって奪われたことに対する長沼村の人々による「非暴力」による異議申し立ての闘争である。

明治7年晩秋、『学問のすゝめ』を読んだ村の役員小川武平らが、すがる思いで福澤を訪ねて県への嘆願書の代筆をしてもらうことで事件は動き出すのだが、その代筆原稿の実物は伝わらず、『福澤諭吉全集』にも筆写から収録されていた。この福澤自筆下書が、5年ほど前、古物市場に現れた。さまざまな文献をたどると、この原稿は大正期に村を離れたと推測される。しかしこれも下書の一部であった。今回旧長沼村の方々に資料を持ち寄っていただいたところ、その中に他の福澤自筆下書が見出された(写真1)。

写真1 楅澤諭吉の代筆原稿 大木利夫氏蔵

一度活字になった資料は、研究者の関心が遠のく。しかし原本にしか語れない歴史の息づかいがある。ともすると、単なるデータとして歴史的資料の中身を無機質に読み解きがちであるが、この原稿の筆勢や修正の生々しさは、これが現実の出来事だったことを深く想起させてくれる。

もう1つの発見は、初見の福澤諭吉像である(写真2)。長沼村民がお金を出し合い依頼したものだろうか。腕組みをした福澤の顔つきは精悍で、円熟した三田の胸像とは、かなり異なる佇まいだ(背にS.N.とあるも作者・年代未詳)。旧長沼村には、事件の経緯を伝え福澤を讃える「長沼下戻記念の歌」があり、沼の権利回復の記念日に毎年これを村人総出で歌うお祭が戦後まであった。

写真2 福澤諭吉胸像(高 270mm) 成田市長沼区蔵

現在は役員10名ほどの小さな儀式になっているものの、福澤の肖像画を掲げて脈々と続けられている。歴史とは、生きた人間の営みの積み重ねであることを折々皮膚感覚で想起することの大切さを感じた資料たちとの出会いだった。

(慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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