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【From Keio Museums】長沼村民に贈られた書《無我他彼此》

2022/10/11

縦970mm 横305mm
所蔵▶慶應義塾横浜初等部(石川俊一郎氏寄贈)

千葉県にかつて長沼という3平方キロほどの沼があった。三方を囲まれ沼に依存して生活する長沼村と、沼縁の他の村々の間に、沼の利用をめぐって紛争が生じ、福澤諭吉が解決のために尽力したことは、「長沼事件」として知られている。福澤によるこの書は、長沼村の有力者大木源之助が所蔵していたとみられる。2015年に古物市場に現れ、横浜初等部開校祝いとして寄贈された。

文字は「ガタピシ無し」と読む。立て付けが悪い時の、あの「ガタピシ」だ。仏教由来の言葉で、我と他、彼と此というように物事を対立的に見るのではなく、本来一体であるという真理を捉えよ、つまり円満を願う書である。筆の払いがやや誇張されているのは、日蓮の髭題目を意識しているのでは、と想像する(長沼には「一村安全無我他彼此」という書もあったが、現在は所在不明)。

この「無我他彼此」を、慶應義塾史展示館の企画展「福澤諭吉と『非暴力』―学問のすゝめ150年―」で展示する(会期10月17日~12月17日)。なぜ『学問のすゝめ』で長沼事件か。それはこの事件に転機を与えた本だからである。

江戸時代、長沼をめぐって他村と長沼村の間でたびたび紛争が起こったが、寛政五年、幕府の裁定で長沼は長沼村の所有地と確定した。ところが、明治維新後の土地政策の変動に際し、近隣15村が沼の利用を企図して役所に働きかけた。長沼での漁猟採藻に依存する村民は生活の糧を失うので抵抗したが、捕縛者まで出たうえ、請書を提出させられ、長沼は国有地化された。困却して県庁へ嘆願に赴いた長沼村のリーダー小川武平が、夜店で手にしたのが『学問のすゝめ』であった。国に不平があれば、「暗に上を怨」んだり「乱暴」に及んだりせず、「静かに」「遠慮なく議論」し、「天理人道」に叶うなら「一命を抛ちて」争うべしと記されていた。勇気づけられた小川は福澤と面会、異議申し立てに賛同を得て、しばしば福澤自ら願書の筆を執り、根気強く異議申し立てを継続した。

命令を待つのではなく、意思を表明し異議も遠慮無く申し立て、自らの国を作っていくのが「人民たる者の分限」であると説く『学問のすゝめ』が、立ち尽くす村民の背中を押し、遂には28年に及ぶ権利回復運動を成就させるのである。

(慶應義塾福澤研究センター准教授 都倉武之)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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