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福澤諭吉記念慶應義塾史展示館と慶應義塾ミュージアム・コモンズのグランド・オープンによせて

2021/05/12

図書館旧館改修から博物館構想へ

他方で、KeMCoの構想が具体化するにつれて、私の中では、義塾の歴史を伝えることに特化した大学博物館が別途必要だと感じるようになり、2019年春に耐震性強化と大規模補修工事が完了した図書館旧館に着目した。義塾創立150年の頃、当時の小室正紀福澤研究センター所長が立てた図書館旧館を博物館にする構想があったが、建築後100年経過する建物では恒久的な施設にするのは難しいということが1つの理由で実現しなかった。

図書館旧館は、1907(明治40)年の義塾創立50年を記念して建設事業に着手し、曾禰達蔵、中條精一郎の曾禰中條建築事務所が設計を、戸田組(現戸田建設)が施工を担当して、1912(明治45)年に竣工した。2009年、当時90歳を超えていた戸田順之助会長が私を訪ねてこられ、「祖父の代に図書館旧館や塾監局の工事を担当しました」などと嬉しそうにお話しくださったことを懐かしく思い出す。この図書館建設の際、建設費は募金による35万円の寄付金で賄われたが、木造であれば10万円もあれば図書館が建設できるので、木造にして残りは工科(工学部)設立に充てるべきではないかという声もあった。しかし、貴重な蔵書を後世に伝える図書館は不燃物で建てなければならない。また、図書館建設を名目に集めた寄付金を他に転用しては慶應義塾が天下の信を失うという時の塾長鎌田栄吉の一言で、煉瓦と花崗岩のゴシック建築になったという。先人の英断に感謝したい。

100年以上前に図書館建設を担当した戸田組が再び平成の大改修を担当し、曾禰中條事務所の流れをくむ三菱地所設計と文化財保存計画協会が設計監理を担当した。改修工事完了式の日、今回の大規模補修により先端的な免震構造を持つ図書館旧館は次の100年も保つだろうと工事関係者が誇らしく語られたことに意を強くし、都倉さんに、福澤諭吉の生涯と慶應義塾の歴史を日本の近代史の中に正当に位置づける展示施設の企画を依頼した。

2008年の義塾創立150年式典に親臨された天皇陛下が、お言葉の中で近代史と共に歩んだ義塾の歴史に触れてくださったことも念頭にあった。都倉さんが手弁当で頑張ってくれた後、2020年に開設準備室が設置され、青山藤詞郎常任理事を室長、副室長には都倉さんに加えてハーバード大学の学生時代、剣道を通じて義塾と交流があり、日本史が専門の商学部のクラシゲ、ジェフリーヨシオさんも加わって、慶應義塾の歴史を世界に発信する展示施設の準備が加速し、「慶應義塾史展示館」の開設が実現した。

KeMCoと展示館の創設には清家塾長の時代から引き続き施設担当理事を務める渡部直樹常任理事にさまざまな工夫をしていただいた。今回、図書館旧館の1階に欧米の博物館なみのミュージアム・カフェ「TEMPUS」が開設されたことも、渡部さんのアイディアである。開館後、塾史展示館の運営は平野隆所長をはじめとする福澤研究センターが担ってくれることも決まっている。ご尽力いただいた井奥成彦前所長にも感謝申し上げたい。

双子の展示施設への期待

色々な縁が繋がり、義塾の「人間交際(じんかんこうさい)」の力によって、念願の2つの博物館が時代にふさわしい形で誕生した。KeMCoと塾史展示館の関係者の皆さんには短期間で開設にこぎつけるため大きな負担をおかけしたことをお詫びすると共にご尽力に心から感謝したい。そのほか、文中にお名前を載せることはできないが、大勢の方にこのプロジェクトに協力して頂いたことを記して謝意を表する次第である。

KeMCoの設立については、2008年のセンチュリー文化財団と慶應義塾の交流のはじまりから立ち会ってきた者として深い感慨を覚えている。グランド・オープンには赤尾文夫様、センチュリー文化財団の清水章理事長、神崎充晴専務理事も参加して下さった。お互いに「やっと、ここまで来ましたね」という言葉が出た。センチュリー文化財団の皆様のご厚意とご尽力に改めて感謝申し上げたい。

2021年春、依然として新型コロナウイルス感染症は社会に大きな影響を与えている。振り返れば慶應義塾の歴史は感染症と関係が深い。福澤諭吉は、若き日に大坂の適塾で学び、恩師緒方洪庵が大坂で流行したコレラの治療法の普及に努めた姿を知っている。慶應義塾創立の年、1858(安政5)年には、江戸でコレラが流行した。この年は安政の五カ国条約が結ばれた年でもあり、海外から伝染病が持ち込まれたのではないかというので、攘夷運動の一因になったといわれている。このような体験から福澤は病院設立を願い、その思いはペスト菌を発見し、日本細菌学の父と呼ばれる初代医学部長北里柴三郎に受け継がれた。また図書館旧館の大改修は2011年の東日本大震災がきっかけである。

震災から10年の節目の年、コロナ禍の中で2つの展示施設が誕生した。「福澤諭吉記念慶應義塾史展示館」と、「慶應義塾ミュージアム・コモンズ」が、義塾の「伝統」と「進化」を体現する双子の展示施設として大きく成長してゆくことを期待したい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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