【その他】
福澤諭吉記念慶應義塾史展示館と慶應義塾ミュージアム・コモンズのグランド・オープンによせて
2021/05/12
念願だった博物館の創設
2021年4月14日慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)がグランド・オープンの日を迎えた。5月12日には福澤諭吉記念慶應義塾史展示館の開館式が予定されている(※一般公開は延期。塾史展示館ホームページを参照ください)。この機会に2つの展示施設の創設に至る経緯について紹介しておきたい。
大学博物館の建設は慶應義塾の時代を超えた念願であったが、創立150年を超えても諸般の事情により実現していなかった。私がこの課題に関わるようになったきっかけは、文学部長と斯道文庫長を兼任していた2008年、安西祐一郎塾長の時代に遡る。慶應義塾創立150年を契機にセンチュリー文化財団から斯道文庫に対して、美術資料の一部を寄託したいというお申し出があり、2009年に美術品の受け入れと、寄付金によるセンチュリー文化財団赤尾記念基金が設立されたのだ。博物館を持たない義塾は、保管・展示・研究の態勢を整えるため現在の佐々木孝浩斯道文庫長や所員の皆さんが色々と工夫を重ねて対応した。
2009年、清家篤塾長の下で学事及び施設担当常任理事に就任したことで、博物館の創設は職務上の課題となった。長い歴史の中で蓄積された膨大な学術資料があちこちに分散収蔵され、国宝の秋草文壺も東京国立博物館に寄託されている状況を何とかしたいという気持ちが強かったが、2009年当時、義塾の財政はリーマンショックの影響を受けており、とても博物館構想は切り出せない。そこで「総合学術資料センターの設立」というキーワードでささやかな博物館めいたものの将来構想を常任理事会に提出して承認を得たことを記憶している。大きな建物は財政的にもキャンパスのスペース的にも難しい。その頃、日本のインターネットの父であるSFCの村井純さんから、いっそデジタルミュージアムを創ってはどうか、というアドバイスを頂いたこともあった。この発想はのちに、デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター(DMC)が、膨大なデジタルコンテンツの関係性をグラフ構造でカタログ化し、デジタルで表現するMoSaIC(モザイク)によるデジタルミュージアムプロジェクトとして実現し、KeMCoの創設に活かされた。
そうこうしているうちに、偶然、五反田にあるルーブルDNPラボの存在を知った。エジプトのミイラの棺に貼られていた人物画などルーブル美術館の貴重な文物を点数は少ないけれども実物展示し、同時に詳細な解説と類似の文物の映像をデジタルコンテンツとして展示するユニークな企画で、小さなスペースでも実施できる手法である。早速、義塾の評議員であったDNP(大日本印刷株式会社)の北島義俊会長にお願いして、バックヤードや技術部門を含めて視察させて頂き、「これだ」と思った。見学の際には法学部の同級生でDNPの執行役員を務めていた峯村隆二君が付き添ってくれた。DNPにはその後もKeMCoのシステム構築に協力して頂いている。
展示施設設置への始動
そして、2016年7月、アート・センターの内藤正人所長を通じて、センチュリー文化財団から、保有する美術資料を散逸させることなく後世に伝えるため、美術資料を義塾に一括寄贈し、基金拡充のため30億円を寄付したいというご提案を受けた。そこで、翌2017年4月に、展示施設検討小委員会を開催し、内藤さんやDMCの松田隆美所長、アート・センターの後藤文子さん、福澤研究センターの都倉武之さん、文学部民族学考古学専攻の安藤広道さん、山口徹さんら学術資料を扱う現場をよく知る皆さんに集まって頂いた。非公式の会議で担当部門もないため、会議室の手配や記録は塾長室秘書担当の杉阪藍さんに手伝って頂いた。
提案を受けるとしたら、どんな問題点があるか。斯道文庫の収容力はすでに限界にあった。アート・センターが単独で受け入れることは可能か。この機会に博物館構想につなげることはできないか。その場合、すでにアート・センターが博物館相当施設になっていることとの関係はどうなるのか。博物館を建設するなら寄付金を超える費用が必要になるし、その後の運営にも毎年高額の費用がかかるなど、問題点の指摘が相次いだが、それでも、この機会に、むしろ慶應義塾が蓄積してきた膨大な学術資料とセンチュリー文化財団の美術資料を合わせた収蔵、展示施設をつくるべきだという方向性がみえてきた。
同年10月には香港大学で開催された環太平洋大学協会(APRU)の大学博物館関係者のシンポジウムに都倉さんと参加し、世界の大学は、今やテーマごとの新しい博物館=ユニバーシティ・リサーチ・ミュージアムや海外の大学とオンラインで結ぶ教育機能の高い博物館の設置、そして博物館機能のIT化に向けて動き出していることを知った。その経験から、アナログな展示物を並べた重厚長大な博物館の時代は終わり、世界の潮流は教育研究の拠点であり、デジタル発信力の高い博物館の設置に向かっていると感じた。
そこで、12月に、正式に学術資料展示施設検討委員会を組織して、佐藤道生斯道文庫長、内藤アート・センター所長、松田DMC所長らにお集まり頂き、見学者が館内を回りながら展示物を見て「ほほう」と驚く重厚長大な博物館ではなく、一貫教育校から大学までの教育の場、研究の拠点であり、何よりもデジタルコンテンツとアナログコンテンツが融合した発信力の高い新しいタイプの博物館をつくりたいとお願いした。その後DMCから理工学部の金子晋丈さん、斯道文庫から堀川貴司さん、福澤研究センターから西澤直子さん、都倉武之さん、アート・センターから後藤文子さんらが参加してワーキンググループで議論を続けて頂いた。常任理事としての任期中に何とかレールは敷いておきたいと思っていたが、2017年5月に思いがけなく塾長を仰せつかり、引き続き課題に取り組むことを許された。
2017年11月に、現在の松田隆美KeMCo機構長を室長とする開設準備室が設置され、同じく副機構長となるアート・センターの渡部葉子さんを中心に、アート・センターの本間友さん、文学部民族学考古学専攻の安藤広道さん、山口徹さん、それに繁森隆管財部長、富山優一、黒田修生の二代の塾長室長、塾長室の小西麻貴子さん、KeMCoの組織が発足してからは重野寛DMC所長も副機構長として参加し、デジタル・アナログ融合で塾内の分散型展示施設のハブとなる「ミュージアム・コモンズ」をつくるという構想が育まれていった。寄付金30億円の内、10億円を建設費に充て、20億円を基金として毎年の果実で運営費用に充てることも決まった。そして、2020年9月、設計監理を三菱地所設計、建築工事を東急建設、電気設備工事を日本電設工業、機械設備工事を三建設備工業が担当して、KeMCoの入る東別館が三田通りに面して竣工した。建設に携わった各社の皆さんに感謝したい。
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長谷山 彰(はせやま あきら)
慶應義塾長