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福澤諭吉記念慶應義塾史展示館
第4回 慶應義塾史上のモノを並べる

2021/05/15

人間交際の章 男女・家族・義塾・社会

第4章は、人と人の関係性がどうあるべきかを考えるコーナーだ。1人1人の独立した存在が社会を作っていくことへの福澤の視座が義塾の現在に投影されていることを問うもので、これ以前の3章の時系列とは外れた章立てになっている。福澤の女性論や交際論とその実践の紹介から、その投影としての義塾の学風や体育会の特徴、そして「社中」という意識の広がりを取り上げた。ここには、福澤が毎日会いに行った「お釜の助」というあだ名の乞食の書や、塾生・塾員が獲得したオリンピックメダルなどと混じって、戦前の慶應義塾日吉寄宿舎(1937年竣工、谷口吉郎設計)と戦前の他校の一般的なバンカラな学生寮の一室を再現した模型を置く。今では意識されることの少ない学風の違いが端的に「見える化」される。

他校の寮(旧制高校の多くの写真資料から構成したもので特定のどこかではない)には万年床や壁一面の落書きなどを再現。戦前の内装が良く残っている日吉寄宿舎の北寮(現在では廃墟になっている)にも何度も通って厳密な考証を行った。色の推定には本当に悩まされた。本連載第1回で紹介した三田キャンパス模型とともに、ぜひ隅々までご覧頂きたい。これらの模型製作は小山義記・すみよ夫妻の労作である。

展示の一番最後は、福澤の交詢社における最後の演説で締めくくられている。鶴の一声で靡(なび)いたりせず、世の中のあらゆることをワイワイと議論して「捏(こ)ねくり回」し続けるのが「死ぬまでの道楽」であり、それを引き継いで欲しいと語る福澤の言葉は、全展示のまとめでもある。

図書館旧館の歴史と「ホラを福澤、ウソを諭吉」

これら4章とは別に、展示の途中で、この展示館が置かれた図書館旧館の建物の歴史紹介コーナーと、福澤に向けられた同時代人の様々な評価を書き抜いたコーナー「ホラを福澤、ウソを諭吉」をトピック的に設置した。勝海舟が福澤に送った「行蔵は我に存す」という有名な書簡も開館時にはここに展示予定である。

空間デザイン

展示館内は上から見ると大きくロの字型に壁が配され、それが上下左右と十字に切れていて4つの島になっている。このデザインは、槇文彦氏の槇総合計画事務所にご担当頂いたもので、じつは1912年の図書館開館以来、大閲覧室だった空間を1983年に大会議室として改装した際も同事務所に内装をご担当頂いている。天井が高く、窓が大きいこの歴史的空間を引き立てつつ、展示資料の保護を図り、なおかつ展示空間としても美しく見通せる。展示室中央には、1983年の改装時に槇事務所がデザインした大絨毯が広がっている。約40年を経た風化は感じられるものの、今回入念にクリーニングされ、再生された、隠された見所である。

個室だった戦前の日吉寄宿舎の模型

10年、20年のスパンで

そういうわけで、この展示館は必見があふれている。しかし、展示品たちは、一見しただけでは全く面白くないものばかりで、多くは薄汚い紙切れである。なぜここに展示しているのか、どこが面白いのかをできるだけ短くかつ丁寧に伝えるよう努力した。また、それらが一体どこからきたのかという来歴も大事にした。50年、100年前であっても寄贈者が分かる場合は同様に明記したので、「白洲次郎氏寄贈」などというものもある。

この展示館での、ある資料やある言葉との出会いが、歴史の延長上に自らが生きる自覚を生み出し、来場者に何らかの示唆や行動を生むことができたら、意義があったといえるだろう。それは10年、20年というスパンで塾内外に実を結んでいくものであってほしいと考えている。

1983年改装時にデザインされた大絨毯(床中央、工事中の 写真)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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