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あたらしいミュージアムをつくる: 慶應義塾ミュージアム・コモンズ
第6回 モノの背後に広がる風景を読む──KeMCoにおける展示活動と教育プログラム

2021/03/22

  • 渡部 葉子(わたなべ ようこ)

    慶應義塾ミュージアム・コモンズ副機構長、慶應義塾大学アート・センター教授

準備が進む開館事業:交景

慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)も2020年末にはオフィスが新しい建物に移り、いよいよ4月の開館に向けて、準備が本格化している。その開館事業全体を「交景:クロス・スケープ Cross-scapes」と名付けたが、この名称には人・モノ・活動が交流する創造的な場であろうとするKeMCoのコンセプトが反映している。そして、開館事業では2つの展覧会(「文字景 Letterscape」「集景 Gathering-scape」)と国際シンポジウム(「本景 Book-scape」)が予定されている。「文字景」では、新しく寄贈されるセンチュリー赤尾コレクションの名品と慶應義塾に蓄積された資料を用いて、文字文化の展開、場所と時代を超えたその広がりを3階展示フロア全体で表現する。そして9階のカンファレンス・ルームを展示会場とする「集景」では、小規模ながら慶應義塾所蔵の名品を紹介する。明確なコンセプトのもとに作品が収集される美術館とは異なり、大学や学校のコレクションは、人の集いに引き寄せられて作品が集積する。その様を映した「集景」展では、慶應義塾に関わりのある美術家たちの作品や、卒業生による寄贈など、縁あって「集まってきた」作品が展示を構成する。

展覧会と作品というモノ

じつは2つの展覧会、さらにシンポジウムの全てを「景」と呼ぶことに、KeMCoの姿勢が端的に表れている。それは、展覧会においても、モノの背後に広がる風景を意識しながら、展示を考えているということでもある。そもそも展示とは対象の作品を何らかのストーリーの中に位置付ける行為である。つまり、展覧会は作品というモノ=オブジェクトを扱いながら、それを見せるための文脈を示してもいるのである。ところが、実際に作品を並べると、予め用意したストーリーに収まらないケースが出てくる。そこが、完全な整合性がとれる論文やテキストの参考図との大きな違いである。実物を前に「これは違う」と気付くことが出てくるのだ。現実のモノは複雑で多様なアクセス・ポイントをもっている。その時、眼前のモノが発する別の声に耳を傾ける態度で臨んでいきたい。「景」を掲げた展覧会の姿勢は、モノのもつ複雑さを見つめ、新しい出会いに開いていこうとする姿勢に他ならない。

モノが演出する多様性と横断性

さて、今後の展示では、慶應義塾の文化財交流のハブとして、塾所蔵の様々な文化財を多様な視点を通して可視化していくことに取り組む予定である。例えば、今年の秋には「修復」という観点から作品を紹介する展示を予定している。これまでに修復が施された作品をその修復関係資料とともに展示するだけでなく、実際に塾所蔵文化財の修復を手がけている専門家にご協力いただいて、関連催事を展開したいと考えている。これは、学内の身近なところにある作品に対する認識を刷新する側面をもつと同時に、作品の分析に用いられる科学的手法や修復のための道具・材料などを通して、様々な領域へと広がることになる。

このように、ある作品=モノを扱う場合に、多様な演出の仕方があるわけだが、それを大学というバックグラウンドを生かして多角的に展開できるのが大学ミュージアムの強みであろう。そこで、KeMCoはモノ=オブジェクトというコンタクト・ポイントを設定することによって、展示においても領域横断的なアプローチを積極的に引き出していきたいと考えている。

KeMCoに先行する博物館施設として、2011年にアート・センターに45平方メートルの常設展示室が誕生し、諸機関と協働した展示を行ってきた。実は学内の資料や文化財は、所管の先生方や関係専門家以外にはあまり知られておらず、展示を通して別の専門的見地へと開かれることがあった。展示公開が、いわばフリー・アクセスの状態を演出し、出会いが生まれ、新しい視点から評価されたのである。展示されたモノが学問的な交景(クロス・スケープ)を演出したのだ。KeMCoではこのような交流をより積極的に展開したいと考えている。研究展の枠を設け、その展示においては必ず複数部署が関わって、展示を企画・実施するという形を想定している。異なる領域や専門家とのマッチングで新しい、そして大学ならではの展示活動が可能となるであろう。

モノに直に接する学び

慶應義塾の文化財は、これまでも博物館実習や貴重書活用授業など教材としても活用されてきたが、KeMCoの教育プログラムにおいても重要な役割を果たすことになる。KeMCoでは大学ミュージアムの所蔵品や文化財を教育に生かすプログラムとして、近年注目されているオブジェクト・ベースト・ラーニング(OBL: Object Based Learning)に取り組んでいく。

アート・センターでの展示(「元和偃武 400年 太平の美」展、2015年)

OBLは、学ぶ側がモノ(=オブジェクト)に直接的にアクセスする学びの方法であり、大学の文化財や博物館・アーカイヴが所管するモノを介して行われるアクティブ・ラーニングの1つと捉え得る。そこでは、何かの説明や理解のための例証としてモノが用いられるのではなく、モノから出発することになる。学び手はモノに直に接して、観察し記述を行い、それを他者と共有することによって、価値観の多様性を実感すると同時に、自らのバックグラウンドの理解へも導かれるのである。OBLはここ10年ほど、特にイギリスやオーストラリアで広がりをみせてきた教育理論だが、それは、きわめて多様な文化地域から留学生を受け入れているイギリスや民族的な多様性の共存を図るオーストラリアにおいて、OBLが現実的な相互理解のためのツールとして機能していることを意味している。同じ1つのモノを眼にしながら、その観察・記述、それに至る背景が実に多様であることを実感し、その前提に立ってコミュニケーションを図ることが可能になるのだ。日本での実践例はまだほとんどないが、同調圧力が強いと言われる環境の中で、多様性への解放と創造的なコミュニケーションへの導きとして機能することが期待できるのではないだろうか。

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