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福澤諭吉記念慶應義塾史展示館
第2回 福澤諭吉・慶應義塾史の裾野を広げる

2021/03/16

  • 都倉 武之(とくら たけゆき)

    慶應義塾福澤研究センター准教授

「先生」を神棚から下ろす

他の歴史ある大学に行くと気付くことだが、慶應義塾という学校は銅像が少ない。そもそも福澤諭吉は銅像というものを嫌っていた。人の業績が事実に即して評価されるのではなく、すでに出来上がった権威として植え付けられることを嫌ったのだ。だから福澤の身近にいた人たちは、福澤の死後、銅像を造らなかった。1904年に一度中津に建てられそうになった時もその動きは止められ、銅像ではなく「独立自尊」と刻まれた巨大なオベリスクの建立に変わった。

しかし、戦後になって直接福澤に接した人が少なくなってきた時、容姿をよく知っている人がいるうちに形を残しておこう、ということで造られたのが現在三田キャンパスにある胸像(柴田佳石作)だ。

そしてこんにちでは福澤像がキャンパスにあることは当たり前となっている。教科書に出てくる偉人。日本に西洋文明の旋風を巻き起こした先覚者。1万円札の顔になった政府も認める成功者。雲の上の人になった福澤を現世に具現化した銅像は、三田への来訪者の絶好の撮影スポットであり、手を合わせたり、賽銭を供えたりする人までいる。その福澤が創立した学校である慶應義塾も、今や最難関に数えられる高等教育機関として権威視される。出身者は「塾員」であるかないかで世の人を選別し、塾員にあらずんば人にあらずという態度で群れる。その結束力の核にある思想や歴史は見返られず、今や疑いようもなく「福澤諭吉」も「慶應義塾」も権威化してしまったのではないか。

BLM運動にならって、三田の福澤像も破壊しよう、というのではない。もう一度その権威を剥ぎ取って、同時代的、現代的意義を謙虚に点検し共有する必要があるのではないか。この展示館の準備で、第一に意識したのはこのことである。

メインビジュアルと一筆書き

メインビジュアルとなった散歩姿の福澤像

「偉人福澤先生」のイメージ先行によって来場者が思考停止に陥らないようにしたい。そこで、「格好良くなくて後からジワジワくる」メインビジュアルを冒頭に設置した。杖をついた妙な身なりの福澤の最晩年の散歩姿である。有名な写真だが、知らない人からすると異様である。しかしこの風貌こそが実は彼の思想を端的に表している。そして、慶應義塾のこんにちの学風にまで繫がっているのだ。その実物大写真の横にあるオープニングのメッセージから一筋のペン書きの線が出て、以後展示会場を一筆書きで案内してくれる。この一筆書きは、日本における蘭学の発祥から、福澤と慶應義塾の介在を経てこんにちに力強く繫がっている、実証的・合理的学問、すなわち福澤のいう「実学」の流れを表している。その線は、様々な時代の塾生の姿に変じ、あるいは展示内容と関連する象徴的な図柄を描き出しながら、来館者をエスコートしていく。散切り頭で着流しの明治前期、ソフト帽に詰め襟の大正期、丸帽に学ランの戦前、私服の戦後、あるいは一貫教育校の制服姿といった塾生たちが散歩姿の福澤とともにあちこちに散らばっており、それらはすべて一筆書きで繋がっている。

来館者を導く一筆書きのグラフィックの スタート部分

この案は、施工業者トータルメディア開発研究所西尾理恵、デザイナー原田啓二、プランナー石川渉の各氏らと、コロナ自粛下のオンラインでブラッシュアップを重ねた。

線をたどって展示空間を歩いて行くと、一番最後はその線が切れている。注意して見れば、いつのまにか福澤の姿は見当たらない。これは、福澤の向こうへ進み続ける、というメッセージとなっている。

塾関係者以外を置き去りにしない

この展示で気を付けたことの1つは、慶應義塾とは無関係の人にも関心を持って見てもらえるようにすることである。この展示館は、近代以降の日本の歩みを、官や政治主導の歴史としてではなく、民間私立の勢力による抵抗や挫折、教育や学問といった視点から問題提起する意図を持っている。そのためには慶應義塾関係者以外を疎外する空間にならないようにする必要がある。慶應義塾としての独自ワードは要注意だ。たとえば「塾員」や「社中」などは、内輪感が出やすい。

だが展示の一番最後の部分では、あえて「社中協力」や「三田会」を取り上げた。解説文には社中協力の伝統は「本来、独善的・排他的なものではなく、社会への積極性と私立の理念を守るための緊張感を併せ持つもの」と書いてみた。この結束力は、本来官尊民卑への抵抗、レジスタンスと言っても良い文脈があった。三田会や塾員の結束力を、近年メディアがやたらと取り上げ、「学閥の王者」などと書いているのにそれを嬉々として買い占めている場合ではない。この部分の展示は筆者なりの「憂塾」の発露で、全展示の中で最も立ち入った記述といえるかも知れない。

また、福澤諭吉に対する批判的なまなざしの存在を無視せず、多様な解釈や読み方のもとに、関心が持たれ続けていくことを狙う書き方をしたつもりである。

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