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【Keio Report】慶應義塾・南三陸プロジェクト 8年間の軌跡

2020/04/22

プロジェクトの成果─学びの場として

ボランティア活動の成果報告としては、ペンマークの焼き印を押した木製ベンチを70台以上制作し仮設住宅に設置、というような事項を並べるのが筋かもしれないが、ためらいを禁じ得ない。長沖氏が最終報告書に、

この活動の過程で、支援者の独りよがりな、現地の方々に役にたつとは思えないプロジェクトをいくつも見てきた。私たちはそれを他山の石として学んできた。

と書いたように、我々はこちらが計画した支援や調査を極力避けてきた。それ以上に、引率者の体感として、本プロジェクトの本当の成果は、参加者にとってキャンパスにいてはできない学びを、数限りなくさせていただいたこと、それに尽きると思えてならないからだ。我々ができる手伝い以上に、当地で学ぶことの方がはるかに多い。震災とその後を生き延びること。災害の時に自分に何ができるかを考えること。南三陸の皆様はそれがわかっているからこそ、未来に目を向けて温かく学生を見守って育ててくださった。8年間、大変な時にもかかわらず、である。そのご厚志を、ぜひ義塾に関わる皆様に知ってほしい。

そして、汗を流した多くの「慶應の人」が結んだ当地との絆こそが、慶應義塾の財産となったのだと思う。加えれば、卒業生中山祺朗氏らが本プロジェクトに添う形で続けてきた鏑木文隆氏(体育科)率いる塾高柔道部の練習会は、東北県下の柔道部が志津川高等学校に何校も集まる恒例の行事になっていた。

未来に向けて

本プロジェクトでは地元支援の傍ら、慶應の山を町の復興に有効に生かしたいとの思いで、学生たちが山頂まで遊歩道を完成させ、以来整備を続けてきた。2012年より2年半をかけて、道無き所を人力で木を倒し、杭を作り、木を並べ、土を耕し、造成した道。学生の努力を支えてきたのは、1つの使命感だ。南三陸町は境界線が分水嶺になっており、町内すべての川の水が海(志津川湾)に注ぐという希有な地形的特徴を持つ。海産物が豊かな海は、里山を守る地元の人々によって守られてきた。慶應の山はかつて講(集落の組織)が管理していた場所で、町内有数の広さだ。つまり、慶應の森は植林した杉だけでなく、放置されている雑木林を含めて、自然の循環を保つ山でなければならない。

山頂に立って山と海を見渡せば痛感する。森を保有する義塾の使命は重大であると。だからこそ先日、有志によるボランティアから出発した本プロジェクトの終了を塾長にご報告し、未来への提言を行った。南三陸町の学校林の教育的、永続的な活用について、担当理事を中心に検討が始まるとお返事を頂戴した。

残念ながら新型コロナウイルス感染拡大で中止になったが、この春、中等部の生徒が自然と社会を学ぶ旅行が計画されていた。引率者は、かつて本プロジェクトに参加した卒業生、川内聡氏(社会科)。蒔いた種は確実に育っている。

いつか先輩たちが泥まみれになって作った道が、大学・一貫教育校を含めた義塾全体の学びの場に、そして南三陸町の皆様への恩返しになりますように。

最後に。謝辞は申し上げるべき先があまりに多くて報告書に譲る。元学生スタッフの籾木佑介君(NHK福島放送局)が作った山の映像も一緒に、本プロジェクトのウェブサイトに掲載している。ご高覧を乞う。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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