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【Keio Report】慶應義塾・南三陸プロジェクト 8年間の軌跡

2020/04/22

2019 年8 月、活動のベースキャンプ「なが しず荘」にて。8 年間、全97 期、学生を教 導くださった遠藤家の皆様と共に。
  • 津田 眞弓(つだ まゆみ)

    慶應義塾大学経済学部教授、慶應義塾・南三陸プロジェクト代表

プロジェクトの概要

日吉から10便のボランティアバスを南三陸町へ派遣した2011年の夏休みから、本プロジェクトは、GW、夏休み、三田祭、春休みに、3泊4日を基本とする合宿を行ってきた。震災直後と同じ形で続けてきた活動は、今年度で一旦終えることになり、昨夏に最後の合宿を行った。2019年度まで全97期、参加者は学生と教員延べ1,755人に及ぶ。ここには合宿に顔を出す卒業生の数は入っていない。

南三陸町が目的地となったのは、当地第2の高さの釣瓶山(標高472m)に慶應義塾の学校林があるからだ。志木高も震災前に自然科学の研修に行っていた。本プロジェクトは東日本大震災の年、こんなふうに始まった。昨年度に定年を迎えるまでプロジェクトを精力的に牽引してきた前代表の長沖暁子氏(元経済学部)の言を初年度報告書から引こう。

誰もが自分に何かを問いかけていた日々。(中略)このまま何事もなかったかのように大学生活の日常が始まってしまうのはいやだった。学生たちに、このような危機に際して、何もしない場として大学が存在するというメッセージを伝えたくはなかった。(中略)私たちは決めた。夏休みに学生と一緒に南三陸町に行こう!

有志の教員・学生が集まって、未来先導基金や日吉調整予算の助成を受け、プロジェクトが始まった。被災地への行き来も、施設も物資も不自由な頃。現地に迷惑をかけないことを第一に、参加者には時々の事情に合わせたふるまいや、活動に必要な技能も学習して参加させた。特に学生には南三陸町について調査を課し、合宿の前後に勉強会をして知識を共有した。この試みは、スローガンが「被災地に行くのではなく、南三陸町へ行く」から「南三陸町のサポーターになろう──慶應の森から南三陸町とつながる」へと変わった今も続いており、本プロジェクトの根幹をなす特徴になっている。ネットや図書館で調査をした情報と現実の世界の違いは大きく、それが学びの契機になるからである。

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