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【義塾を訪れた外国人】
デ・カステッロ大司教:義塾を訪れた外国人

2022/07/21

ガリレオ裁判のその後

ガリレオは第2回裁判の評決を受け入れて、教会側が用意した異端誓絶の書類にサインし有罪が確定した。その後、シエナで暫く滞在した後、フィレンツェ郊外にある自分の別荘で娘のマリア・チェレステの世話を受けながらの軟禁生活を送り、1642年に78歳で亡くなるまで科学の研究を続けた。この間ガリレオの代表的著書『新科学論議』を著している。

その後、科学の分野では、地球が動いていることの観測的証拠となる恒星の年周光行差(1727年)と、年周視差(1838年)が観測され、また理論面ではニュートン力学が確立したことで、観測と理論の両面から地動説(地球が動いていること)の正当性が確認された。

一方、宗教的な観点からはガリレオのお墓建立の許可(1741年)、『天文対話』出版禁止の取り消し(1757年)などガリレオの復権が細々と行われたが、ガリレオの本格的復権は裁判から360年後の1992年10月31日に行われたローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の最終声明まで待たねばならなかった。

教皇声明の背景(大使の講演から)

第2回ガリレオ裁判から300年余りが過ぎた1979年11月10日、教皇ヨハネ・パウロ2世は、アインシュタイン生誕百年記念祝典の講演「ガリレオの偉大さは全ての人の知るところ」で、16世紀から17世紀にかけてプトレマイオス主義者(天動説)とコペルニクス主義者(地動説)との間で行われた論争を研究する調査委員会の立ち上げを表明した。この講演で教皇は「科学の真理と信仰は対立するものであってはならず、また科学に関する学説に教会は口をはさむべきではなく、神学者は学説から導かれる科学的真理と信仰の真理との調和を目指すべきだ」と述べている(『ガリレオ裁判──400年後の真実』田中一郎、岩波新書)。

調査委員会は十数年かけて、当時の裁判記録と歴史事実を調べ、その報告を1992年10月31日バチカン宮殿内の科学学士院で行った。この報告を受けて、同日、ヨハネ・パウロ2世の講演「信仰と理性の調和」が、教皇庁の科学学士院で行われ、教皇はガリレオ裁判に関する教会の判断は誤りであったことを謝罪した。

日吉キャンパスで行われた講演での大使の発言でも、同じ趣旨の話がなされている。教皇の最終声明によって、科学と宗教の間で長い間続いた論争には終止符が打たれたが、ガリレオ裁判の過ちを認めるまでに360年近くの年月が経過し、幾つかの観測事実から、地動説の正しさが検証されている現在では、カトリック教会側のこの評価には、「いまさら感」がぬぐえない。それはそれとして、科学の成果の受け止め方に関する教皇の講演は、科学と宗教の問題を離れても、科学の成果の受容の在り方に関して、きわめて重要で奥深い示唆を与えていることがわかる。

ガリレオ裁判と教皇声明の今日的意義

19世紀後半になって、それまでに確立していたニュートン力学やマックスウェルの電磁気学では理解できない実験結果が次々と発見された。これはそれまでに確立していた物理学(これを古典物理学と呼ぶ)には適用限界があることを示すものであった。確立した物理学の理論体系に適用限界があることの発見は、人類の自然認識に大きな変革を迫る革命的な大発見であった。具体的な例としては、光速に近い速さで動く運動ではニュートン力学が有効でないこと、ミクロの世界ではニュートン力学もマックスウェルの電磁気学も適用できないことが明らかになり、代わりの理論体系として特殊相対性理論と量子力学が構築された。特殊相対性理論と量子力学を、古典物理学と区別して現代物理学という。現代物理学の誕生は、自然界には幾つかの層があることを示唆し、そして新しい層が示す自然界では、それまでの常識では理解できない現象に出くわすことがあることを示している。

量子論の不完全性としてアインシュタイン等によって指摘された「EPRパラドックス」(アインシュタイ・ポドロスキー・ローゼン:物理的実在の量子力学的記述は完全とみなせるかPhys.Rev 47(1935)7779)は、それまでの自然界の常識から見たときの量子力学の不完全性を指摘したものである。特殊相対性理論は、ニュートン力学の自然認識の基本理念を成していた時間認識と空間認識を根本的に変革するものであった。また量子力学でEPRパラドックスが指摘したのは、それまでの常識ではとても受け入れられない「エンタングルメント状態(絡み合った状態)」の実在を受け入れざるを得ない事例を示すものである。エンタングルメント状態の存在を認めることは、物質の実在の在り方に関するそれまでの常識を根本的に変革することであった。

ガリレオ当時、地動説は「地球が動く」という日常の経験からは想像できなかった事実を受け入れるものであり、20世紀に量子力学の絡みあった状態という実在の在り方を受け入れることは、それまでの常識からはあり得ないことであった。絡み合った状態の存在をめぐる議論はガリレオ裁判の論争に似ていることがわかる。

科学の発展は、自然界の新しいページをめくる作業である。そう考えれば、ガリレオ裁判はその歴史の序章であったと考えられる。また教皇ヨハネ・パウロ2世の講演の「奥深さ」も理解できる。日吉キャンパスでの大使の講演で、教皇の最終声明が出された背景が明らかにされ、ガリレオ裁判の新しい意義と、教皇ヨハネ・パウロ2世の講演の現代的意義に触れられたことは、科学の発展が続く時代に生きる者にとって、その発見の受け止め方を考える上で大きな意義があった。

最後に、大使の近況を簡単に紹介する。大使は2005年から11年まで駐日教皇大使を務めた後、11年から18年までハンガリーのブダペストにて教皇大使を務め、現在は引退して、故郷の北イタリア・モンテベッルーナに居住されている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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