【義塾を訪れた外国人】
マイケル・サンデル:義塾を訪れた外国人
2018/06/26
三田「白熱教室」実現の背景
2012年5月29日、ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデル教授が三田山上に降り立った。サンデル教授といえば、ハーバード大学で毎回千人以上の学生を前に行われるという「白熱教室」が有名であった。その講義のあまりの人気ぶりに、ハーバード大学始まって以来のことらしいが、この授業はメディアにも公開されることになった。日本でも2010年にNHKでこの録画が放映され、さらに同年、東大の安田講堂に1,000名の学生を集めて再現された「白熱教室」が話題を呼び、「哲学」という、どちらかというと地味な学問分野としては異色の社会現象となっていた。
義塾で「政治哲学」の冠をかぶせた講義を持っているのは私だけなので、サンデル教授を招聘したのは私だと思っている人が多いようだが、それは残念ながら事実ではない。この義塾での「白熱教室」は、実は同じ月に出版された翻訳書『それをお金で買いますか──市場主義の限界』の販売促進を兼ねて彼を日本に招待した早川書房からの持ち込み企画だった。これには慶應義塾の学生たちにもサンデル教授の謦咳に接する機会を作ってやりたいという早川浩社長(現塾評議員)の、卒業後も長年変わることのない愛塾心が大いに関係していたに違いない。今回の来塾は、28日に東京国際フォーラムで5,000人の聴衆を集めてマンモス講義を行った翌日のことであり、さらには慶應での講義の翌日には福岡の西南大学に飛び、そこでも千人規模での講義を行う予定となっていたので、「少し小さな規模での充実した講義を行いたい」という先方からの要請を受けての話だった。その意を汲んで、慶應版の白熱教室は法学部政治学科の3、4年生に聴講資格を限定し、特に政治思想関係のゼミを優遇するかたちで二百数十名の学生に集まってもらった。
哲学者サンデル
「白熱教室」に先立つことおよそ30年、そもそもサンデルの名を広く世に知らしめることになったのは『リベラリズムと正義の限界』(1982)という著作だった。この書物においてサンデルは、当時アメリカの政治哲学界で全盛を極めていたジョン・ロールズの『正義論』(1971)を批判したのである。のちに「リベラル・コミュニタリアン論争」と呼ばれるようになる論争がそれである(もっともサンデルは自分の立場をコミュニタリアンよりも「共和主義」と呼ぶことの方が多いのだが)。
ロールズは「正の善に対する優位」を説く。人間、いかに生きるべきか、何を善とするかは人によって多種多様であり、またそうでなければならない。そのためにはその善の構想に先立って何らかの規範的原理が打ち立てられなければならず、それが正義であるとロールズは考えたのである。
これに対してサンデルはこのロールズの議論の根底にある「負荷なき自我(unencumbered self)」という想定を批判する。ロールズは原初状態における「無知のヴェール」、すなわち一般的知識は有するものの、自分の能力や立場、社会状態については全く知らない状態にある人間という想定から出発する。このような条件下では自分が将来、「勝ち組」になるのか「負け組」になるのか分からないわけだから、最も弱い人間でも健全な生活を送ることができる「正義のルール」への合意が可能になるとロールズは考えたのである。これに対してサンデルは、人間の歴史性や社会性を取捨したそのような抽象的自我などありえないと批判した。サンデルにとって、人間とは社会やその社会の伝統の中にはめ込まれた物語的存在(story-telling being)である。この属性を欠いたロールズ的自己は何に対しても愛着を持てず、また自省することもないが故に道徳的判断を行うこともできないし、そのような人間が善や正義を選択できるわけがないとサンデルは主張したのである。
このようにロールズの人間観を批判するサンデルであるが、いざ政策レベルでの話となると両者のあいだにはそれほど大きな差があるとは思えない。ロールズがあくまで普遍的原理に則って格差の是正を図ろうとするのに対して、サンデルは特定のコミュニティの中で同じ価値を共有するメンバーと社会的財の再配分を分かち合おうとするのであり、両者はともにリベラル陣営に属するといってもよい。このことは個人の天才的能力は社会全体の資産なのであって、決して当該個人だけがその利益にあずかっていいわけではないとするロールズの議論に対してサンデルが好意的である点にも窺える。
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萩原 能久(はぎわら よしひさ)
慶應義塾大学法学部教授