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【義塾を訪れた外国人】
カズオ・イシグロ:義塾を訪れた外国人

2018/01/01

静かに語る人

これらの7作の長編小説が背景とする空間と時代はそれぞれ異なっているが、すべての作品は人間の記憶と忘却とをテーマとしている。三田でのオープン・インタビューにおいても、さまざまな方向に向かって話は広がったが、イシグロが一貫して語ったのは記憶と忘却についてだった。強く印象に残ったのは、戦争や災害を同時に体験したとしても、国や社会という集合体の記憶と個人の記憶は必ずしも同じではないという考えだった。公的領域の記憶を意識しながらも私的領域の記憶を忘却の彼方へと押しやってはいけないというその考えは、すぐれた共感力を持つ作家に備わっている認識だろう。

好きな作家や影響を受けた芸術家たち、音楽や映画の世界への深い関心。小説家として出発した時のエピソード。丁寧に語るその姿勢は魅力的だった。その場にいた多くの人たちが後に、心に残るメッセージを伝えてくれたが、なかでも「このインタビューをいつまでも聞いていたいと願った」という言葉は、静かに、しかし、力強く語るイシグロの語り手としての深さに触れた人が共通して抱く思いだろう。イギリス小説のセミナーでケンブリッジ大学を訪れた時、ヨーロッパ各地のジャーナリストと話す機会があったが、彼/彼女らの多くがインタビュー対象としてもっとも素晴らしい作家はカズオ・イシグロだと述べていたことを具(つぶさ)に思い出した。

作家が創る風景(ランドスケイプ)

インタビューにおいてではないが、イシグロが話してくれたことで面白く思ったことがあった。「『忘れられた巨人』を『わたしを離さないで』以来の10年ぶりの作品、つまり、久しぶりの作品だということが世間では強調されているが、自分としてはそれほど長い時間を空けたとは思っていない」と、(実際の言葉は少し違うかもしれないが)語ったのだ。新しい神話とでもいうべきあの小説が完成されるまでに10年という時間が必要だったのだ。しかも、作家はこの間に、世界の多くの地域でインタビューに応じ、音楽を軸とした短篇集『夜想曲集――音楽と夕暮れをめぐる5つの物語』を書きあげた。10年は重く、深く、創造的に流れていたのだ。

イギリスの各地、長崎や鎌倉といった日本の場所、イタリアの都市、そして上海。中世の時代、第2次世界大戦前後、現代。これらは、実際に存在する地域と時代だが、作家は、リアリスティックにそれらを作品のなかに再現するわけではない。カズオ・イシグロはさまざまな空間とさまざまな時間を媒体に、それぞれの作品において彼独自の風景(ランドスケイプ)を創り出し、そこに人間のあらゆる営みの根幹となる記憶と忘却というテーマを描出してきたのだ。2度訪れた三田キャンパスが、小説家の脳髄で熟成し、新たな風景(ランドスケイプ)として次の作品に出現するかもしれない。その可能性を否定することはできない。豊穣な言葉を持つ記憶の人の世界は深く、広く、存在しているのだから。

最後に、「母校慶應義塾でのインタビューを実現させたい」と、イシグロと義塾との幸福な出会いを可能にしてくださった早川書房の早川浩氏に感謝したい。そして、生動感を放散する作品世界の創造者、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞を心から祝したい。

南校舎でのレセプションにて(2015年)。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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