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【義塾を訪れた外国人】
ワシリー・レオンチェフ:義塾を訪れた外国人

2017/10/10

  • 清水 雅彦(しみず まさひこ)

    慶應義塾大学名誉教授

今回取り上げるのは、1973年にノーベル経済学賞を受賞したワシリー・レオンチェフ教授である。レオンチェフ教授が第4回ノーベル賞受賞者日本フォーラム(主催 読売新聞・NHK)に出席するために来日したのは1992年10月であった。それ以前にも1986年に札幌で開催された第6回国際産業連関分析会議に出席するために来日している。

産業研究所の特別講演会

義塾を訪れたのは、上記のノーベル賞受賞者日本フォーラムが開催された日の前日であった。来塾の目的は、慶應義塾大学産業研究所がレオンチェフ教授の来日に合わせて企画した産業研究所特別講演会(旧図書館大会議室)で講演するためである。

しかし、単に講演のためだけに来塾した訳ではない。当時、産業研究所を研究拠点としていた義塾の専任教員が1960年代にハーヴァード大学に留学した際に、レオンチェフ教授の特に経験科学としての経済分析モデルの構築と現実経済への適用という研究活動の姿勢に接し、大きな学問的影響を受けた。その影響は、帰国した専任教員が産業研究所を拠点として取組んだ研究活動に色濃く反映され、1970年代の終わり頃には、義塾の産業研究所は当時の日本では数少ない実証的経済分析の拠点となった。以来、レオンチェフ教授との学問的交流が深められたのである。そのような関係から、いわば交流の一環として特別講演会が企画されたのである。

残念なことに講演内容に関する詳細な記録は残されていない。ただ演題(英文)だけが残っている。その演題を逐語的に邦訳すると「学際的関係に関する投入・産出構造の研究」ということになる。後半部分の「投入・産出構造の研究」は、ノーベル賞受賞の主要な理由(業績)とされた投入・産出分析モデルに基づく研究を指している。この分析モデルの基本的構想は、驚くべきことに、レオンチェフ教授が20代のはじめに構想し、20代の後半にまとめられたと言われている。ノーベル賞に値する研究業績が早くも20代の後半に挙げられていたのである。この講演のために義塾を訪れたとき、教授は86歳であった。

凡そ60年余りの年月が経過する中で、自らが創始した投入・産出分析モデルを携えて、新たな分析視点を取り込んだ講演を行ったのである。

図書館旧館での講演

知識の創出とその需給関係

新たな分析視点というのは、演題の前半部分「学際的関係」を指す。英文では“interdisciplinary relationships”と表記されている。より具体的に言えば、様々な知識(知財)の創出とその需給関係を指している。市場経済下で生産され、市場で取引される知識(知財)は、無形資産であり非物的な生産物である。果たして、無形資産であり非物的生産物である「知識」が、投入・産出分析モデルに馴染むのであろうか。厳密に言えば、後述する生産技術と生産物に関する理論仮説が妥当するかどうか。特別講演会ではまったく言及されなかった。今となっては確かめようもない。しかし、この講演会は大変に盛況であった。理由は、何よりも講演者がノーベル賞受賞者のレオンチェフ教授であったということであろう。その一方、演題に含まれた知識の「学際的関係」に関心を持った人は少なかったようである。

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