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【義塾を訪れた外国人】
ハーバート・サイモン:義塾を訪れた外国人

2017/06/06

サイモン博士との出会い

サイモン博士と初めて会ったのは、CMUに入学した1981年夏だった。まず私はアポイントメントを取るために博士に電子メールを出して自己紹介をすると、翌日サイモン博士本人からメールの返事がきた。驚いたことに最初の一行はローマ字で日本語が書かれていた。

「トミタサン、ヨクイラッシャイマシタ」

その後は英語だったが、

「来週の火曜日二時に私のオフィスへ来て下さい」 とあった。翌週の火曜日、私はやや緊張した面もちでサイモン博士のオフィスを訪れると、60代前半の立派な体格をした紳士がにこやかな顔で出迎えてくれた。そして片言の日本語で、

「コンニチワ、ハジメマシテ、Herb Simon デス」 と右手を差し出した。その後は英語で、

「昔はもっと日本語を話せたんだけど、長い間使ってなかったのでだいぶ忘れてしまった。とても残念です」 と照れくさそうに苦笑した。博士の座っている後ろの壁の一角にひとつの賞状が飾ってある。よく見るとノーベル賞の賞状だ。意外と地味なのが印象的だった。小さな額に入って無造作に壁に掛かっていた。私が見入っていると、

「もっとおもしろい物を見せてあげましょう」 と言ってある物を見せてくれた。それは「宰問翔人・・・・」と書かれた表札だった。日本で講演したときにもらったと言う。これで「サイモン・ハーバート」と読み、「大きな問題に羽ばたく人」という意味があるそうだ。

よく話を聞いてみるとサイモン博士は日本語の他にもドイツ語や中国語など数カ国語を話すと言う。

「いや、話せた、と言うべきだろう」 とあわてて訂正した後、

「外国語を勉強することは楽しい。それに人間が言葉をしゃべるメカニズムはいまだに謎だらけだ。人間の言葉の構造をよく調べれば、人間の思考のプロセスを解き明かす鍵が見つかるだろう」 と人工知能の大家らしい言葉を述べた。ふと机の上を見ると中国語で書かれたプリントが置いてある。

「これはなんですか」 と私が聞くと、サイモン博士は照れくさそうに、

「私は(CMUに隣接する)ピッツバーグ大学で中国語の授業を受けています」 と言った。ノーベル賞を取った学者が大学で講義を受けるというのが意外だったので、思わず、

「教員のための特別講義があるのですか?」と聞いた。すると、それは学部の2年生のための科目で、他に20人ほどの大学生が履修していると言う。

「若い人を対象としているので進度が早くて大変です。このプリントは明日までの宿題です。明日までにやっていかないと先生に怒られる」と茶目っけたっぷりに笑った。ひと味違う先生だった。

サイモン博士夫妻と筆者夫妻(1985年)

期待と失望〜AIブームは繰り返す

そして私がCMUに留学した1980年代に、再び人工知能研究のブームが到来した。日本では通産省の第5世代コンピュータプロジェクトなどが火つけ役になり、「人工知能学会」も誕生し、「エキスパートシステム」と称する人工知能の実用システムも登場、各企業も人工知能に本腰を入れ始める。ついには「人工知能つきエアコン」「AIつき電子ジャー」といった〝AI商品〟が市場に登場する。コンピュータチェスの実力も一九八八年にはイギリスの女流チャンピオンを破り、その後世界チャンピオンにも勝った。サイモン博士の予言は、時間はかかったものの、本質的には正しかったことが証明され、「ほらふきサイモン」のニックネームも返上したのである。

しかし1990年代後半になると、AIへの過度の期待は再び失望に変わる。アニメ「鉄腕アトム」の物語上の誕生日は2002年であるが、AIの技術も着実に進歩はしていたとはいうものの、アトムのような知的ロボットの完成からは程遠かった。そして研究費が大幅に削減され、2回目の「AI冬の時代」を迎えるのである。

そして2010年代に入ると、「ディープラーニング」や「アルファ碁」の登場でまたしても世の期待が高まり、第3次AIブームが到来。「2045年にAIは人間の知能を超える」と予言する未来学者も登場し、今人工知能は大いに注目を浴びている。3回目のAI冬の時代が来るかどうかはわからないが、それにしても人工知能は「流行のアップダウンが激しい学問分野」であることは間違いない。

サイモン博士の人生が教えてくれたこと

そんな中においてサイモン博士は、ブームの時も冬の時代でも、一貫して着実にAI研究を進めてきた。そのモチベーションは、役に立つからとか研究費がつくからとかではなく、「人間の思考過程の謎を解き明かしたい」というただ純粋な好奇心だったからである。

2001年2月に84歳で幕を閉じたサイモン博士の人生は、「学問分野に縛られるな」と「流行に惑わされるな」という研究者としてとても重要で貴重な心得を示唆してくれた。そして誰に対しても決して威張らず生涯学び続ける姿勢は、私にとって心から尊敬できる実に偉大な師であった。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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