三田評論ONLINE

【義塾を訪れた外国人】
ハーバート・サイモン:義塾を訪れた外国人

2017/06/06

来塾し、講演中のサイモン博士
  • 冨田 勝(とみた まさる)

    慶應義塾大学環境情報学部教授

人工知能の生みの親、枠に収まらない天才

人工知能(AI)のパイオニア。計算機科学者で心理学者。そして経済学者としてノーベル経済学賞を受賞(1978年)。もともとは政治学で博士号を取得。経営学、言語学、社会学にも影響を与えた。

「ご専門は何ですか」

サイモン博士はそう聞かれると、いつも「さーて」と笑う。

1979年8月18日に三田キャンパスにて安西祐一郎氏の司会で行った講演のタイトルは「認知科学の誕生」。複数の分野を融合し新たな学問分野を切り拓こうという意欲的なものであった。

サイモン博士は様々な学問領域に関与しているが、一貫して「人間はどうやって問題を解決するのか」ということを追究していた。そして1950年代に、「どんな問題でも解決できるシステム」(General Problem Solver)を発表して当時の研究者たちの度肝を抜いた。あらゆる問題を、多数の候補の中からひとつの正解を見つける「探索問題」と置き換え、そのための汎用のコンピュータプログラムを提案したのである。つまり、世の中のどんな問題であっても、きちんと定義さえできれば、このプログラムを用いて解を見つけることができることになる。

人間は〝アバウト〟な解で満足する

ここで重要なことは、サイモン博士は必ずしも「最適解」を見つけることを目的としていない。最適解でなくとも「満足できる解」を見つければ人間はそれでハッピーだからである。例えば、スーパーの駐車場ではなるべく店の入り口に近いスペースを探すが、まあまあ近い場所が空いていたら、そこに駐車して満足するであろう。もっと近いスペースが空いているかもしれないにもかかわらず、それ以上良い場所を探そうとしない。満足したからである。そして、満足する解を見つけるために人間は、洗練された数学的最適化手法など使わず、アバウトで場当たり的な思考を行う、というのである。人間の本質をズバリついた理論であり、ここまできっぱりと言われると逆に清々しい。

人工知能研究は、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、そしてサイモン博士のいるカーネギーメロン大学(CMU)が御三家とされていた。スタンフォードとMITでは計算機科学の延長としての研究だったのに対し、CMUでは人間のアバウトな感覚も重要視し、心理学と計算機科学を融合したような研究が主流だった。サイモン博士はのちにこれを「認知科学」と名付けたのである。

人工知能は失敗した学問⁉

歴史を振り返ると、1950年代にこの世にコンピュータが台頭したとき、その圧倒的な計算速度と記憶容量から、近い将来必ず人間の知能を超えるだろうと誰しもが考え、人工知能(AI)という学問に大きな期待が寄せられた。例えば、フランス語から英語への自動翻訳などは2~3年で簡単に実現すると考えられていたし、チェスに関しては、サイモン博士は「10年以内に人間の世界チャンピオンを倒すだろう」という予言をしていた。

しかし1960年代半ばを過ぎても、自動翻訳は一向に完成せず、コンピュータのチェスプログラムも世界チャンピオンはおろか、アマチュアの実力にも遠く及ばなかった。その結果、サイモン博士も一時「ほらふきサイモン」などと呼ばれたこともあったのである。

こうして1960年代後半には、人工知能は事実上「失敗した学問」という烙印を押された。人工知能は近い将来に実用化の望みがないとされ、「役に立たない学問」として研究費も大幅に削減され冬の時代になる。しかし、多くの人工知能研究者が分野を変更していく中、サイモン博士をはじめとするCMUではめげることなく、1970年代になっても精力的に人工知能の研究を進めていたのである。そもそもサイモン博士は、役に立つとか実用化できそうだとかを研究のモチベーションとしていない。人間の思考過程がいったいどうなっているのかを理解したい、という知的好奇心が原動力だったのである。

私自身もそんなCMUの理念に共感と興味を覚え、塾工学部卒業後にCMUの大学院に留学し、「人工知能の分野で博士号を取るんだ」という、当時の私にしてはとてつもなく大きな夢を抱いて渡米したのだった。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事