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【義塾を訪れた外国人】
ワックスマン:義塾を訪れた外国人

2016/02/01

  • 山内 慶太(やまうち けいた)

    慶應義塾大学看護医療学部教授

北里博士生誕100年

昭和27年12月20日、読売講堂において北里柴三郎博士生誕100年記念式典が開催された。主催が北里博士生誕100年記念会、後援が慶應義塾、北里研究所、読売新聞社で、記念会委員長で元医学部長・元北里研究所長の北島多一に続いて、塾長潮田江次が式辞を述べた。

潮田は、ドイツ留学帰国後の北里博士に対し、日本の学界が冷遇した中で福澤先生が研究援助をしたこと、慶應義塾に医学科を創設する際に、北里博士が献身的努力をしたことに言及した上で、「余り世間に知られていない美談」を次のように披露した。

「いよいよ医学科が開設されましたとき、北里先生御自身は勿論のこと北里研究所から一緒に来られた方々は申合せをして、当分の間無報酬で働かれたのであります。(略)当時の慶應義塾の当局者がどうにかして受け取って戴こうとしましてもこれ等の方々は相当期間給料を辞退されたのであります。(略)私は手当の高を云々するものではありません。医学科が軌道に乗るまで無報酬で働くという、建設当時の北里先生とその門下の方々のその心意気に強く打たれるのであります。これは剛勇の士でなければできないことであります。慶應義塾医学部の今日の発展はこの博士と門下の方々の剛勇の心意気が基礎となって居ることをこの席から世間に披露いたしまして(略)」

この式典は、新聞各紙も報じるなど、世間の耳目を集めるものであった。ノーベル賞を授与されたばかりのワックスマン博士が、この式典に招かれて来日したからである。式典に引き続き開かれた記念学術講演会では、元内科学教授、国立東京第2病院(現東京医療センター)院長西野忠次郎の「北里先生と日本の結核」と題する講演に続いて、ワックスマン博士が「微生物に於ける概念の変遷」と題して講演を行った。

ワックスマンの来日

ワックスマンは、結核菌に有効なストレプトマイシン発見の功績でノーベル賞を受賞した細菌学者である。それまで有効な治療法のなかった結核は、戦中そして終戦直後の日本では、栄養状態の悪化も相まって、まさに不治の病であった。昭和22年の統計資料によれば、結核により146,000人が亡くなっている。しかし、18年に発見されたストレプトマイシンが24年に日本にも導入され、25年には国内生産もされるようになる。その効果は画期的で、27年には死亡者数は半減、厚生省により結核死亡半減記念式典が開かれたばかりであった。

ワックスマンのノーベル賞受賞はまさに来日の年で、しかもストックホルムでの授賞式は12月10日であった。それだけに、ノーベル賞授賞式の帰途の来日であったことが強調されて語られて来た嫌いがある。しかし、来日が決まったのは実はノーベル賞決定よりも前のことで、北島多一、医学部長阿部勝馬らが招聘し、スタンフォード大学で医学を学んだ衛生学教授、草間良男が渡米して出席を懇請し、快諾を得ていたものであった。

ワックスマン自身も、『微生物とともに』という自叙伝で、ノーベル賞が決まった時のことを記した際に、「何ヶ月かまえ、12月には日本にゆくと約束がしてあった。日本の大細菌学者北里柴三郎の生誕100年祭の記念講演を行うためである。いまさら、その旅行を取消しするわけには、まずゆかない」として、アメリカから、ストックホルム、東京と、東回りで世界一周することにしたと記している。

ワックスマンの日本での日々は、記念式典を後援した読売新聞が特に詳しく報じている。 12月16日夜羽田空港に到着、北里研究所長北里善次郎、医学部長阿部勝馬らの出迎えを受ける。記者に、日本人を沢山知っており、日本に来たいと思っていたこと、「慶應大学細菌学教室の秦(佐八郎)教授にサルバルサンに関する発見について教えをうけた」こと等を語った。

17日、三田に義塾を訪問後、白金の北里研究所を訪れ、秦佐八郎の嗣子、秦藤樹の研究室等を視察した。そして、研究所内のコッホ北里神社に参ってから、義塾医学部に向った。

18日には皇居にて天皇陛下と会見、「私は各国の元首にあったがこんなに学問的な話が出来たのははじめて」と記者に語った。ちなみに、24日には、三笠宮崇仁殿下を訪ねた。ユダヤ人の博士と聖書に話が及んだが、後に「彼(殿下)はヘブライ語を学んでおり、旧約聖書を原語で読んでいるというので、私は大いに驚いた」と回想している。

20日が冒頭に述べた記念式典で、帝国ホテルにて記念晩餐会も開かれた。

翌21日には、ストレプトマイシンで回復した患者を見舞った。「多くの人々からこんなに(手紙等で)感謝されてお礼も出せないことがある、200万にも上る日本の結核患者を一々お見舞いするわけにはゆかないのでその代表として」と語った。

名誉博士号授与式にて、藤原銀次郎氏(左端)からワックスマン夫妻に広重の版画が贈られた。(左から二人目が清岡暎一、三人目が牛場大蔵)
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