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【義塾を訪れた外国人】
サルトル、ボーヴォワール:義塾を訪れた外国人

2016/01/01

三田での講演会

9月20日は三田山上での講演会当日である。午後、三田の図書館(旧図書館)で塾長らの出迎えを受け、図書館の貴重書などを閲覧した後、講演会場の西校舎518番階段教室に向かおうと中庭をぬけるところで何百、何千もの塾生にとりかこまれた。サルトルらは最初反対する立場の学生かと緊張したらしいが、皆、笑顔で、なかにはフランス語で書かれた「ベトナム戦争反対」のプラカードを掲げた学生も何人かおり、その塾生の笑顔のなかを2人は教授陣にエスコートされて会場へ向かった。518番の階段教室には900名ほどが収容できるのだが、立錐の余地もなく、他にも8教室を使い、テレビによる同時中継を行い、のべ6,000名が聴講した。今日では入学式などでビデオによる同時中継はあたりまえになっているが、当時としては初の試みであり、その聴衆の規模といい、慶應義塾始まって以来のイベントになった。聴衆は原則的に塾生に限られ、他に他大学のフランス文学研究者や翻訳者、作家たちが招待された。政府関係者や官僚の嫌いな2人はフランス大使館には招待状を出さなかったが、それでも聴講したいという大使館員も個人の資格で参加した。

講演会の最初はボーヴォワールの「女性と今日の問題」と題されたものだった。まずフランスにおける女性の立場から話が始まる。フランス革命の国であり、自由・平等・博愛を信条とする国であるにもかかわらず、フランスで女性の参政権が認められたのは、日本と同じ第2次世界大戦後のことであり、話は両国における女性の置かれている立場の類似に及び、残念なことながら、未だどの国においても真の男女平等の社会は実現していず、それを目指すべきだと述べた。

サルトルの講演は「知識人の位置」と題されたものであった。知識人は学者、技術者、法律家などの知的技術者ではあるが、知的技術者全てが知識人というわけではない。真の知識人は体制に奉仕するものではなく、体制からは独立した者でなければならいないとし、ブルジョワ・ヒューマニズムの批判、ベトナム戦争批判、先進国の繁栄の裏で20億の飢えた人々がいることなどを批判した。この講演は現在、人文書院サルトル全集『シチュアシオン8』に収録され、読むことができる。

そして帰国

慶應義塾での講演の後、『世界』の座談会に、大江健三郎、鶴見俊輔、加藤周一らと参加したり、朝日新聞主宰の講演会が開催された後、箱根、京都、奈良、志摩、長崎、福岡、広島とサルトル、ボーヴォワールの訪日の旅は続いた。そして東京に戻ってきて、帰国前日、10月15日、小田実、開高健、竹内好、日高六郎らの「ベトナムに平和を市民連合」(いわゆるベ平連)のシンポジュウムに参加する。その夜はいよいよお別れということもあり、父の家に(つまりは私の実家に)お二人を招待した。先にも書いたように私はまだ子供だったので簡単な挨拶をしただけであった。一言二言ことばをかわしただけであったのだが、この知の巨人たちに会えただけでも幸運だったと今では思っている。

(サルトル、ボーヴォワールの慶應義塾来訪については、『三田評論』1966年10月号および11月号に写真と共に紹介されており、また4週間にわたる2人の日本滞在記は朝吹登水子『サルトル、ボーヴォワールとの28日間・日本』(同朋舎出版)に詳しく、この文章を書くにあたってそれらを参照させていただいたことを附記する。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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