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【特集:AIと知的財産権】
麻生典:AI生成物と知的財産法

2023/06/05

  • 麻生 典(あそう つかさ)

    九州大学大学院芸術工学研究院准教授・塾員

はじめに

「慶應義塾(けいおうぎじゅく)は、日本の私立大学で、東京都渋谷区に本部を置く。1858年に福澤諭吉が創設した英学塾が前身で、1867年に現在の名称に改められた。慶應義塾は、日本を代表する名門大学の1つであり、経済学、法学、医学、理工学、人文学など、幅広い分野で高い教育水準を誇っている。また、慶應義塾大学は、総合大学として、学部・大学院・専門職大学院・医学部・看護医療学部など、多数の学部・研究科・専攻を有している。」

これは、最近話題のChatGPT に「慶應義塾」と打ち込んで、その説明を求めた結果である(2023年4月初旬の結果)。もちろん、不正確な記述もあるが(例えば、本部は港区、1858年当時は英学塾ではなく蘭学塾、慶應義塾となったのは1868年など)、人が書いたものと感じられる回答が得られている。

このような言語的なAIだけでなく画像生成AI等も含め、近年のAIは人間の創作に近いものを作れるようになった。そうすると、いずれ(既にそうなのかもしれないが)AIが生成したもの(生成物)は人間が創作したものと全く区別がつかなくなる。では、そうしたAIの生成物は知的財産法での保護対象となるのか。保護対象とならないとしたら、立法によって保護を図るべきなのか。

本稿では、AI生成物と知的財産法との関係について、日本でどのような議論がされているかを紹介したい*1

前提となるAIと生成指示

筆者はAIの専門家ではないことから一般的に言われている内容で説明すると、AIと言っても技術的には様々なレベルが想定され、汎用人工知能(強いAIとも呼ばれる)と、特化型人工知能(弱いAIとも呼ばれる)の区別があるようである。汎用人工知能は様々な思考・検討を行うことができ、初めて直面する状況に対応できる人工知能で、要するに何でもできるドラえもんのようなAIである。他方で、特化型人工知能は特定の内容に関する思考・検討にだけ優れている人工知能で、例えばチェスに勝つことだけを目的としたAIである。汎用人工知能は実現していないことから、特化型人工知能が前提となる。

また、現状では人による何らの指示もなくAIによって生成が行われることはないため(先のChatGPT でも筆者が慶應義塾と打ち込んでクリックしている)、最低限のボタンを押す等の人間の関与は必要であることも前提となる。ここでは、「慶應義塾と打ち込んだだけ」という場合を想定して、単純な指示で作られたAI生成物の保護を考えてみたい*2

AI生成物の著作権法による保護

1. 著作物
著作権法2条1項1号は著作物を「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」と定義する。

著作物であるためには、まず「思想又は感情」の表現であることが必要である。この思想・感情の表現を行うのは自然人、すなわち普通の人と考えられている。例えば、猿が撮った写真は人の思想又は感情があらわれていないから、この要件を満たさない。そのため、ボタンを押すだけ等単純な指示で作られたAI生成物も、人のした思想・感情の表現ではなく、思想又は感情の要件を満たさない。

思想・感情要件を満たしていないのでAI生成物は著作物にならないが、創作性要件については議論があるので言及しておこう。創作性は、伝統的に、著作者の人格や個性の発露であると言われてきた。これは創作のプロセスにおいて人の人格や個性が現れていることを意味する。そのため、この伝統的な創作性の概念に従えば、AIは人ではないからAI生成物はやはり創作性要件も満たさない。

他方で、最近では、創作性とは表現の選択の幅だとする有力な見解がある。ある内容を表現するにあたり考えられる表現の選択肢、すなわち、選択の幅がどの程度あるかによって創作性があるかどうかを考えるという立場である。その中でも、「競争法的表現の選択の幅」説と呼ばれるものがあり、そこでは表現者以外の当該表現と同じような表現をしようとする者にとっての表現の選択の余地が検討される。そうすると、AI生成物という結果物から他の者に選択の幅が残されているかで創作性が判断されることになるが、通常はAI生成物であっても他の者に選択の幅が残されているから、創作性要件を満たすことになる。

なお、最後の、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という要件は、AI生成物でも満たすと考えられる。

このように見てくると、他の要件はともかく思想・感情要件は満たすことはできず、AI生成物は著作物とはならない、と理解される。

2. 主体
AI生成物についての著作権法による保護の問題はそれだけではない。

著作権法2条1項1号は著作者を「著作物を創作する者」と定義している。AIに人格を与えるということになれば別だが、現時点ではAIに人格は認められていないから、AIが創作者となることはない。そうなると、誰が著作者となるのかが問題となる。

この場合、創作に関係しそうな者は2人いる。1人はAIに作成の指示を出す者、すなわちAI利用者(慶應義塾と打ち込んだAI利用者:筆者)である。そして、もう1人は、そのAIシステムの作成者、例えばプログラムや学習済みモデルを作成したような人である(ChatGPTの作成者)。

ここで、人による著作物の創作であるためには創作意図と創作的寄与が必要とされている。AI利用者については、(慶應義塾と打ち込むという)簡単な指示をしただけで創作意図や創作的寄与がない。そうすると、簡単な指示だけをしたAI利用者がAI生成物についての著作者となることはない。そして、AIシステムの作成者も基本的に同じ結論となろう。普通は、プログラムや学習済みモデルを作成した者は、AI生成物に対する創作意図や創作的寄与がないからである。

3. 僭称問題
そうすると、単純な指示だけで作られるAI生成物は、先に述べたように著作物とはならないし、著作者も著作権者も存在しないことになる。

そこで指摘されるのが、僭称問題と呼ばれる問題である。これは、現状AI生成物が著作権法で保護されないとすると、著作権法の保護を受けられないAI生成物を人の著作物だと偽る者がでてくるのではないか、という問題である。こうした状況を放置すると、例えば、後から著作物ではないAI生成物だったということが判明するなど、ライセンス等の取引の安全を害するおそれもある。

4. 権利侵害
以上のように、単純な指示だけで作られるAI生成物について著作権法で著作物として保護を受けることは現状では難しい。

そして、AI生成物について問題となるのは著作物として保護されるかどうか、だけではない。AI生成物が他人の著作物を利用して生成された場合に、著作権侵害となるかも問題となる。典型的には、学習させたデータの中の1枚の絵画と、AIによって出力された絵画が非常に良く似ていた場合に著作権侵害となるか、というものである。

著作権侵害が認められるためには、他人の著作物に依拠して、他人の著作物と同一・類似の作品等を利用していることが必要となる。依拠とは他人の著作物にアクセスしそれを基にしたこと、類似とは他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴の同一性を維持していることである。

AI生成物との関係で特に問題となるのは依拠性であり、どのような場合に依拠が認められるかについては様々な議論がある。例えば、学習済みモデルに学習させた著作物がデータ等として残っている、もしくは、残っていなくとも、当該著作物へのアクセスがあれば依拠性を認める立場がある。これは、その絵を学習しているのであれば、それだけで依拠性を認める立場である。また、元の著作物が一群のパラメータの形成に寄与し、その一群のパラメータに基づいて生成物が制作されている場合には依拠性を肯定し、元の著作物が一群のパラメータの形成に寄与していない場合には依拠性を否定する立場もある。

そして、AI生成物が作成された場合に侵害者は誰か、ということも問題となる。AI利用者とAIシステムの作成者の誰が著作権を侵害した者になるのか。両者が同じ場合にはその者が侵害者となることに疑いはない。では、冒頭の例のように、AIシステムの作成者(ChatGPT の作成者)とAI利用者(筆者)が異なる場合はどうだろうか。この場合、AI利用者は侵害者となるだろう。ただし、損害賠償については過失が求められるので、他人の著作物を学習したことを知らない場合には、AI利用者に過失がないとされることもありうる。この時に、AIシステムの作成者も侵害者となるかはケースバイケースとしか言えない。複製の主体は、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して判断されるため、AIシステムの作成者が複製を行ったかはこれらの要素を考慮した上で判断される(侵害者でないとされても幇助者として共同不法行為に基づく損害賠償責任を負うことはある)。

いずれにしても裁判例はまだないことから、今後どのように判断されるかは不明である。

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