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【時の話題:これからのツーリズム】
「新開業」の覚悟で

2020/12/18

  • 鈴木 和男(すずき かずお)

    株式会社吉池旅館代表取締役社長、旅館三田会副会長・塾員

江戸時代、お伊勢詣の講集団が、帰路の一晩を“一夜湯治”と称して温泉で懇親会を楽しむようになったことが、現在の旅館文化の源流で、箱根湯本もその発祥地の1つです。交通手段でしかなかった宿泊が遊興から静養まで目的に応じて過ごす形に転じたわけです。近年はインバウンド旅客の増加もあり、各地の旅館は高稼働を維持。2食付き接待サービス付きオールインワンの共通仕様が広く支持され、本年は2020東京五輪好況の最中にあるはずでした。しかし、リニアが開通する7年後にはライフスタイルの激変が予想され、日本伝統のホスピタリティ産業の本流がこのまま永遠に通用するのかとの疑問も抱いていたところに、コロナ危機に見舞われたのです。

2カ月間の休館を余儀なくされ、その間、新型コロナウイルス感染症に応じた宿泊業の対策ガイドラインが策定され、6月1日に営業を再開しました。ガイドラインの内容は制限と不便が勝る印象でしたが、感染防止をセンターラインにした新たな暮らしに合わせた秩序ある旅行スタイルと宿泊の在り方も示されており、私たちの業務再構築の新基準となりました。20時間のお客様滞在中、対人接客が多く、お客様に気を遣わせる懸念も拭えず、3密回避可能な客室内の接遇を見直し、お茶淹れしてご挨拶や、布団の上げ下げ等について改善点を明記しました。

スタッフは前向きに準備に取り組み、時機に合わせたプラン造成と、弊館の長所の掘り起こしを開始しました。

「リモートワークを支援する宿泊プラン」は、茅ヶ崎から品川への通勤者を想定し、いつもと反対方面の電車にのんびり座り、箱根湯本に着いたら仕事と温泉のパッケージというものです。1人1部屋利用であることと午前中にチェックイン可能としたことでヒットしました。連泊利用も増え、働き方や通勤の変容にフィットしたようです。また短かった夏休みには、同行者と過ごす部屋をオプション販売し、家族旅行も合わせて叶えていただきました。

「温泉については自社開発」の強みを生かしています。思い切って6月から25メートルプールに温泉を満たして大きな「露天プール」として開放したところ、館内の大風呂より数倍広い上に水着利用の安心感で10月末まで好評に推移いたしました(混雑時の入場規制には、表裏一体の悩みもありましたが)。この間、よく温まり、湯冷めしにくい自家源泉の泉質を、より多くの方に知っていただこうと、源泉の再分析を実施したところ、なんと7倍にまで希釈しても依然療養効果のある成分が溶存することがわかりました。「温泉スタンド」の許可を得て20リットル梱包で吉池温泉をおみやげにしていただけるようになり、持ち帰りをセットにした宿泊プランも発売しました。

「まちづくり」の気力なくして「みせづくり」はあり得ません。昨年から取り組んでいる「素泊まりプラン」を継続し、ご賛同いただいた近隣の飲食店を紹介して、小田原や湯本での外食を楽しんでいただいています。そのような地元のまちづくりを意識したプランづくりに注力していたら、今般Go Toトラベルの地域共通クーポン制度の後押しを受けることができました。これからも地域の観光経済成長の希望を抱いて励みたいと考えています。

これからは「オーダーメイド」営業の考えが重要になってくると思います。募集型の企画旅行やユニット団体旅行がこれまで通りに販売されるには数年要すると予測される中、提携のウエディングプラン会社が主催する「箱根神社で家族婚」旅行での前後泊予約が堅調です。少人数で気の置けない仲間同士の集まり(地域三田会等含む)の需要回復に応じるために、お客様ごとにお考えをうかがって仕様を変える対応が、団体旅行時代を経てきた温泉旅館にはより大切になると考えています。

世界中に広がってしまった感染症による圧迫が取り除かれて、秩序ある和らぎの時が必ず戻ってくると信じています。多くの旅館事業者は家業であり、得手不得手のあることが各館の特徴を成すものだと思います。温泉のことも、知っていただくべき地域のことも、日本各地の観光地にはまだまだポテンシャルがあります。令和の自我作古の心構えで、新たに旅館文化を育んでいただけるように、内外に再発信したいと思います。

弊館は今年創業80年を迎えたのですが、「新開業」の覚悟でここまで運営してきました。ポストコロナの到来にそなえて前を向いて、おもてなしに努めたいと思います。オリンピックは国の面目一新の好機会だから「よく掃除して」「不体裁のないよう」に心がけるよう説いた小泉信三先生の気概に想いを寄せつつ、個人的には、競走部が箱根駅伝本戦に復帰し、国道に出て3色旗を振り回しながら絶叫応援して過ごすお正月が来ることを待望しています。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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