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【福澤諭吉をめぐる人々】
山田 季治

2025/06/18

福澤研究センター蔵
  • 結城 大佑(ゆうき だいすけ)

    慶應義塾普通部教諭

明治30(1897)年3月22日。この日、日本人による初の本格的英字新聞The Japan Times(邦文表記ジャパン・タイムス)が創刊された。今回取り上げる山田季治(やまだすえじ)は、その気概に満ちた新聞社の、初代社長となった人物である。

教育

季治は嘉永元(1848)年、松口鋿吉(しょうきち)の三男として生まれた。2歳の時に父が出奔し、家族は伯父に引き取られた。伯父は中津藩江戸定府の土岐太郎八(ときたろはち)。その娘・錦(きん)が、のちに福澤諭吉の妻となる。3歳年上の錦と共に育った季治は、土岐の世話で鳥取藩士山田忠右衛門の養子となった。『慶應義塾入社帳』に記載はないが、福澤の塾に学んだ時期があったとされる。

明治6(1873)年、季治は鳥取県気高(けたか)郡青谷村の小学校の校長に就任し、明治8年には官立愛知英語学校に転ずる。その校長は義塾出身の吉川泰二郎で、学年によって毎週27時間から33時間の授業時間があり、3時間の日本語による読書と時間外の体操のほかは5人の外国人教員が全て英語で教えるという学校であった。季治は小学校の教え子たちに「気のあるものは出てこい。田舎に居ったっていけん」と呼びかけ、これに応えた5人の青年たちが愛知英語学校に入学した。

明治10年に西南戦争が起きて国の財政が悪化すると、政府は緊縮策の一環で全国の官立英語学校の閉鎖を決定。愛知英語学校は、愛知県に移管されて愛知中学校として存続することになった。季治はその英語教員兼舎監で、青谷の青年5人も引き続き同校で学んだ。鳥取からの新たな入学者もいた。

実業

英語教育に携わった季治は、次に実業の世界に進む。前出の吉川は先に教育界を退き、郵便汽船三菱会社の横浜支配人となっていた。この吉川が福澤宅を訪れた時、季治の話題になった。福澤は季治の将来を案じていたのか、季治の三菱会社への転職について便宜を図ってもらえるよう、吉川に依頼している。この話が実現して、季治は明治13(1880)年、同社の神戸支店に入った。翌年には朝鮮に渡り、元山支店や釜山支店の支配人にもなった。

明治18年に三菱会社と共同運輸会社が合併して日本郵船会社が設立されると、季治はその長崎支店の支配人を皮切りに、様々な支店の支配人を歴任した。この間、季治は赴任地の振興にも関わることがあった。長崎では商工会の一員として、水道事業や長崎・佐世保間の鉄道敷設事業の発起人となっている。根室出張所の支配人だった明治22年には、根室英語学校を設立。この学校は、福澤の適塾時代の親友で、当時官立根室病院長だった松岡勇記の開いた英語講習会(夜間の英語学校)を合併したもので、外国人教員を2名雇って根室の若者に英語を教えた。

日本各地を転々としながら会社を支えた季治は、明治29年12月、日本郵船を退社する。冒頭に述べた、ジャパン・タイムスの発行を実現するためである。

Team TOTTORI

明治30(1897)年3月2日。ジャパン・タイムスの創刊を知らせる広告が時事新報に載った。「ジャパン・タイムスは独立の新聞にして何等の党派に関係を有することなく其目的は我国は勿論極東に於ける各般の出来事に関し英文を以て邦人の意思感情を忌憚なく発表するに在り」「学識経験ある外国記者を雇入れ原稿の修飾刪正(さんせい)に任ずるを以て英語英文を研究せんと欲する人には必読の新聞なり」。

この力強い宣言には、社長・季治のほか、主筆に頭本(ずもと)元貞、助筆に武信由太郎、支配人に中西美重蔵が名を連ねている。

このうち頭本は季治が愛知中学校で教員兼舎監をしていた時に鳥取から入学し、その後札幌農学校へ進学。英語教育に優れた同校で新渡戸稲造などと机を並べた。頭本は新渡戸と語らうなかで、将来英字新聞を発行し日本の国情を外国に紹介することを決意したという。それから伊藤博文の秘書を経てジャパン・タイムスの主筆となった。

武信と中西は、青谷の小学校から愛知英語学校に進んだ5人組のうちの2人で、愛知英語学校を卒えてからは、いずれも季治から学費の支援を受けて学業に励んだ。武信は札幌農学校を、中西はカリフォルニア州ユーリカ商科大学を卒業している。

このように、ジャパン・タイムスには、季治の教え子たちが顔を揃えた。「高潔廉恥」「赤心を推して人の腹中に置く底(てい)の人物」と人知れず評されたその人柄が、英語を巧みに操る俊英たちを惹きつけ、ふたたび彼のもとへと結びつけたのである。さらに季治は故郷・青谷から優秀な青年20人を東京に呼び寄せ、ジャパン・タイムスの工場に迎え入れている。こうして"Team TOTTORI" とも呼べる布陣のもと、日本人による初の英字新聞は、その歴史の第一歩を踏み出した。

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