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【福澤諭吉をめぐる人々】
フランシス・ウェーランド

2024/05/15

ウェーランドの大学改革

福澤が慶應義塾の創設者であったように、ウェーランドはブラウン大学を長年にわたり試行錯誤を繰り返しながら運営してきた学長であった。ウェーランドは第4代学長であるが、その貢献度からしばしばブラウン大学の「創設者」と呼ばれることさえある。福澤の時代の慶應義塾も、ウェーランド時代のブラウン大学も学生数は現代と比べれば格段に少なかった。ブラウン大学もまた大学というよりは私塾のような雰囲気に近かったようだ。19世紀の時代において、福澤とウェーランドの両者に共通の課題だったのは、学生数の減少や財政逼迫をはじめとする経営危機に対応しなければならなかったということであった。

ウェーランドは学生数の減少を受けて大学改革に乗り出した。教育水準を上げ、図書館を設立したほか、カリキュラム改革も行った。具体的には、従来の必修制のカリキュラムを改め、これまで大学教育の恩恵を受けることがなかった幅広い階層の人々のニーズを見極めた新科目を追加するとともに、学生はそれらの科目から自らが将来的に成功するために必要と思われる科目を「選択」し、それらを徹底的に学んでもらうという方針に切り替えた。選択制を目玉とする「新制度」は1850年秋から始まることとなった。残念ながら、この制度はわずか数年で終わってしまい、1855年には学長辞職へと追い込まれていくことになる。ウェーランドの試みは失敗に終わったとみられるかもしれないが、南北戦争以後のアメリカ国内の大学においてウェーランドの改革案にヒントを得ながらカリキュラム改革が実行されていくことを見ると、大学教育の先駆的な存在ともいえる。

福澤もまた、入塾生数減少に伴う経営危機に直面し、教員数を減らすか、給与を減らすかなど、議論を重ね、一時は廃塾を決意するまで悪化した。しかし、塾関係者の協力もあり、1880年、慶應義塾維持法案に基づく募金を開始した。状況は違ったとしても、経営危機を乗り越えるために教育機関の改革に奔走したリーダーという側面において、ウェーランドと福澤が見事にシンクロして見えてくる。

晩年──ウェーランドとリンカーン

ウェーランドの学長時代後半は、南北戦争に向かう時代でもあった。ウェーランドは早期から奴隷制度反対論者だった。特に、奴隷制が拡大しかねない1845年のテキサス併合や1854年のカンザス・ネブラスカ法を真っ向から批判していた。実際、ウェーランドは1844年の大統領選では、テキサス併合に反対するヘンリー・クレイ候補(落選)に投票しているし、1860年の大統領選ではエイブラハム・リンカーンの当選を大いに喜んだ。

ウェーランドの晩年は、南北戦争およびリンカーン大統領の時代と重なる。彼はアメリカ内戦のさなか、Moral Scienceの改訂を続け、奴隷制廃止の主張を強めた四訂版を自身の没年の1865年に出版する。この四訂版こそが日本で最も普及することになる版である。偶然にも、ウェーランドが南北戦争中に黙々と執筆していた姿は、福澤が戊辰戦争という日本最大ともいえる内戦のさなか、ウェーランドのPolitical Economyの講述を続けた姿に重なって見える。

1865年4月15日、リンカーン大統領が首都ワシントンのフォード劇場内で観劇中に暗殺された。ウェーランドの支持していたリンカーンが暗殺されたという報が流れた後、市民はウェーランドに追悼演説をお願いしたのであった。ウェーランドの自宅の庭で行われた演説には雨天にもかかわらず1500人もの聴衆が押し寄せたという。かねてより体調がすぐれなかったウェーランドはリンカーンの後を追うように同年9月30日に69年の生涯を閉じた。

Political Economyを上野戦争中に講じた逸話は今日まで語り継がれ、Moral Scienceは、塾内で福澤により講じられるのみならず、『すゝめ』をはじめとした福澤の思想に大きな影響を与えている。福澤がアメリカに渡った時は、既にウェーランドは晩年もしくは死後であったことから、ウェーランドに福澤が直接会った可能性は限りなく低い。しかし、ウェーランドの著作なくして、福澤の思想も慶應義塾の基盤も形作られることはあり得なかったと言っても過言ではないだろう。

〈参考文献〉
*伊藤正雄「福沢のモラルとウェーランドの『修身論』」『福澤諭吉論考』吉川弘文館、1969
*藤原昭夫『フランシス・ウェーランドの社会経済思想』日本経済評論社、1993
*ミヤンマルティン、アルベルト『『修身論』の「天」:阿部泰蔵の翻訳に隠された真相』慶應義塾大学教養研究センター、2019
* Francis Wayland and H.L. Wayland. A Memoir of the Life and Labors of Francis Wayland, D.D., LL.D. Volume II. 1867. Arno Press, 1972.

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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