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【福澤諭吉をめぐる人々】
野口米次郎

2023/05/23

米国渡航

明治26(1893)年11月、野口は横浜から汽船に乗り込み、12月にサンフランシスコに到着した。窓ふきや皿洗いなど様々な仕事をこなしたが困窮した生活が続いていた。あるとき、皿洗いをしていると、日本人学生が詩人ウォーキン・ミラーのことを「仙人」だと噂しているのを耳にして興味を持った。その後、桑港新聞の食客となり、翻訳記事を書きつつ雑用をこなす生活を続けた。新聞社でミラーの山荘に行ったことがあるという人物がいたので、野口は働くので置いてもらえないかと尋ねると、ミラーは日本人好きで以前にも日本人を置いていた、そこでは寝たい放題寝られるし、読みたい本も読めると教えてくれた。

喜んだ野口は持っていた4、5冊の本を売り払って旅費に充て、山荘を訪問することにした。手元に残した本は、ポーの詩集、松尾芭蕉の句集、禅語録の3冊であった。明治28(1895)年、野口が19歳の頃である。

4月、ミラー邸を訪れた。ミラーの「丘」と呼ばれた山荘は文化人が自由に出入りし、サークルを形成していた。ホイットマンやソローを崇拝するミラーは、「本を読むな、自然の中で感じ取れ」と言い、自著も読めないように柱に釘付けにしておくほどの徹底ぶりだったが、野口は内緒で蠟燭を買い、釘付けにされたミラーの書を何とか読んだ。そこから詩人が自費で詩集を出版し、それが評価されていく過程を学び取ったのである。

詩人としての出発

明治29(1896)年、野口は自作の英詩を雑誌社に送った。すると、編集者から「奇抜にして秀麗」と称賛された。しかしなかなか掲載されないため、別の雑誌に英詩を送ったところ、「異邦人の孤独な想い」を表現していると紹介のうえで巻頭に5編が掲載され、これが各紙誌で評判となった。

ミラーの山荘にはメディア関係者や一般市民が野口に会おうと押し寄せ、野口は一時的に知人宅に身を寄せざるを得なくなった。同年12月には第1詩集『Seen and Unseen(明界と幽界)』を出版し、翌年には第2詩集も出版した。野口はアメリカ詩に新たな風を起こす存在として知られるようになった。その後、拠点をサンフランシスコからシカゴ、そしてニューヨークへと移した。

明治34(1901)年、小説を書き始めた野口は英文添削者を募集した。採用されたのがレオニー・ギルモアであった。レオニーは37(1904)年、イサムを出産した。しかし野口にレオニーと生活する意志はなく、様々な女性との恋愛を繰り返した。

渡英、そして帰国

明治35(1902)年、野口は英国ロンドンに拠点を移した。ミラーと同じように詩集を自費出版しようと出版社を回ったが、なかなか良い返事は得られなかった。大英博物館に勤める詩人と知り合ったことから、交際範囲が広がり、詩集『From the Eastern Sea(東海より)』を200部印刷することができた。これによって著名な詩人、文学者から手紙が届き、各紙誌で取り上げられるようになった。すると、米国デビューと同様に、野口を一目見ようと下宿先に人が押しかける事態になった。当時19歳の作家アーサー・ランサムもその1人であり、野口と意気投合し親交を深めることとなる。

37年、英米での成功をもって帰国した野口は、時代の寵児となった。週に1日は慶應義塾大学の教壇に立ち、残りの日々は鎌倉円覚寺で執筆をして過ごした。国外に向けて自らの英詩を出版するだけでなく、日本文化(特に浮世絵、能、狂言、俳句)を積極的に紹介し解説した。また、各国の文化人と交流し、講演も数多くこなした。

当時の西洋各国では東洋文化への関心が高まっており、野口の存在はその東西文化を結びつけるものとして重要視されたのである。1920年代には、日本国内でも「氏の詩を知る事は日本人の義務なり」とまで言われるようになる。雑誌『日本詩人』が「ヨネ・ノグチ特集」を組み、内田魯庵をはじめとする文化人の野口への賛辞で埋めつくされた。特に内田はノーベル文学賞を取る日本人は野口をおいて他にはいないとまで持ち上げたが、野口自身は喜ぶことなく、そうした称賛の声を冷ややかに受け止めた。

戦争への賛同

野口の存在が戦後忘れられた一因は、戦争への熱心な賛同姿勢にあった。ただその裏には、一度捨てた祖国を拾った野口にとって、祖国をまた捨てるわけにはいかなかったという複雑な事情があった。

しかし、その切実さは、多くの日本人には共感されなかった。そして、「ヨネ・ノグチの息子」として世に出たイサム・ノグチが高い評価を得たことで、今や「イサム・ノグチの父」として人々の記憶に残っているのである。海外の名だたる文化人と対等に語り合い、日本文化を世界に広く紹介した野口米次郎の功績は消えるものではない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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