三田評論ONLINE

【福澤諭吉をめぐる人々】
徳富蘇峰

2020/01/29

福澤との唯一の面会

若き蘇峰は福澤の文明論を引き継ぎ、文明化する日本が目指すべき道は平民主義にあることを高らかに宣言した。その論壇への登場は、福澤の継承者として位置づけられている。もともと蘇峰の周囲には慶應義塾の関係者が多く、望めば福澤に学ぶことができる環境であった。しかし、蘇峰は「つむじ曲がり」で、福澤と慶應義塾が「何やら気に食わなかった」といって敬遠した。ただし、弟の蘆花によれば、同志社時代の蘇峰は、福澤の『学問のすゝ め』を書き込みで真っ黒にして読み込み、福澤の写真の裏に「君こそ我畏友なり」と書くほどの隠れ福澤ファンであったし、蘇峰の福澤への弔文には若いころ明治の青年として福澤の感化を受けたことが述べられている。これらのエピソードからは、学ぶべき対象としての福澤と自らが身を立てる際に乗り越えるべき対象としての福澤とに揺れる蘇峰の福澤像が伝わってくる。蘇峰の心には、あまりにも有名でみんなが憧れる存在に対して、拭い去れない憧憬と反骨が同居していたのだろう。

蘇峰は15年に上京した際、慶應に学んだ従兄江口高邦の紹介で福澤に面会することができた。19歳の蘇峰は、福澤が唱える官民調和論に不満を感じていたため、47歳の福澤に「学者として世に立つつもりなのか、政治家としてなのか」と迫った。すると福澤は「貴君は書物を読むか」と聞いてきたので、蘇峰は「もちろん読んでいる」と答えた。福澤は「いずれ貴君が書物を読めば、追って判るであろう」とあしらった。帰り道で従兄が「余りに大胆すぎる」とたしなめるほどの態度であった。野心的な青年蘇峰の挑むような態度に対して、壮年福澤は書物を読めば学者であることは自明だと言外に伝えたかったのだろう。蘇峰が福澤と言葉を交わしたのはこの時のみであり、後は蘇峰が朝鮮改革派の金玉均と会っているときに、金を支援していた福澤が親しげに話しかけている際に会釈したことがあるだけだという。そして、最後の接点は蘇峰が福澤の葬儀に列席したときであった。

「瘠我慢の說を讀む」(『蘇峰文選』より)

蘇峰と福澤の人物評価

ことあるごとに福澤を批判する蘇峰は、教育者として自らが通った同志社の新島襄を高く評価する。それは福澤が物質的知識の教育に偏り、新島のような精神的道徳の教育に取り組んでいないからだという。しかし、それが世の趨勢と異なることを蘇峰はもちろん自覚していた。蘇峰は、福澤の事業が成功し「天下私学の権」を手中にしたのに対して、新島について、「中村〔敬宇〕の学なく、福澤の弁なし。彼の恃む所は、唯た一片の赤誠のみ。宗教的にいえば、一片の信仰のみ」と比較した上でその赤誠と信仰を好んだのである。

また、両者の勝海舟への評価も対照的であった。福澤が「痩我慢の説」で、旧幕臣でありながら新政府に出仕した勝を批判したのに対して、蘇峰は『国民新聞』で「痩我慢の説」を批判し、新島が師と仰いだ勝を弁護した。

一方、福澤と蘇峰が一致して評価する人物が2人いる。1人は大隈重信である。福澤は大隈を生涯盟友として期待したことはよく知られており、蘇峰もすでに述べた通り、政治家の中で板垣とともに進歩派政治家として最も期待した存在であった。もう1人は馬場辰猪である。福澤は、馬場が英国留学から帰国したら日本の「デスチニー(運命)」を担うべきと直接伝えたほどの秀才であり、その夭折を深く惜しみ、「気品の泉源、智徳の模範」、「後進生の亀鑑」と讃えたことはよく知られている。蘇峰も、若いころ上京して様々な民権家と会う中で馬場に「最も啓発された」と述べている。会った時の馬場の印象は「好男子」で「紳士の風采」でありながら「熱血男児」というものであった。馬場は、蘇峰に「真に政治の運用を知るには、政治家の伝記を読まねばならぬ」といって、英国のコブデンとビーコンズフィールドの伝記を与えた。蘇峰はこの2冊を「天啓」とまで述べ、その感動を率直に表現している。

福澤の後継者としての蘇峰

若いころの蘇峰は福澤の官民調和論を批判した。しかし蘇峰の政治的な動きも、藩閥政府内の進歩派と民党による政権構想にもとづくものであり、民党との人脈がある大隈や後藤象二郎の活躍に期待した福澤の官民調和とさほど大きく異なるわけではなかった。

蘇峰の思想と言論は、若いころの平民主義から国民主義、そして翼賛体制に協力した国粋主義へと変遷した。これは、明治から昭和にかけて急速に近代化した日本がたどった道そのものであった。蘇峰は若いころから福澤を意識しつづけ、対抗心を抱き続けた。晩年に文化勲章を授与された際、福澤以降では自分が最も日本文化に貢献したと自負していたのに、最初の回に選ばれなかったことに不満をもっていたという。

蘇峰を知る国木田独歩は、「氏は第二の福澤なり、第二の新島に非ず」とその本質を見抜いていた。言論界の巨人としての徳富蘇峰は、福澤の後継者であったといえる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事