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【福澤諭吉をめぐる人々】
鎌田栄吉

2017/08/08

独立自尊の伝承者

鎌田と独立自尊は切っても切り離せない。福澤が亡くなる1年前。鎌田を始めとした高弟たち数人は、病後の福澤に代わり、福澤精神の集大成として修身要領を編纂した。29条からなるこの修身要領は、その後、慶應義塾の指針となる。その内約17条は、鎌田が考えた原案から採用されたという。この修身要領の軸には、福澤が長年唱え続けてきた「独立」が据えられた。さらに鎌田は、四字の標語とすべく、「自尊」という言葉の候補をあげた1人であった。福澤の戒名にもなる「独立自尊」という言葉は鎌田らの提案により形になったのである。福澤は、修身要領が完成すると大変喜び、慶應義塾を廃校にしてでも広めるべきだと語ったほどであったという。

鎌田は晩年、人生を振り返り、「人が字を書いてくれといえば、独立自尊と書き、何かいえといえば独立自尊といった」と語るほど徹底して独立自尊を主張し続けた。「自分を尊んで金玉の如く思う人」ならば、「人も亦己と同じく金玉」である。例えば、自尊の人は、図書館のような人々が精神を込めて学ぼうとか、折角楽しもうと集まるところで迷惑をかけるはずがなく、それを促すには細かいことを指図する必要はない。「自尊の人はこの美術の殿堂において脱帽して静粛なり」この一言で十分だと語った。世が自由を得たからこそ自制のために独立自尊は必要であった。個人主義や利己主義などと混同なきよう、時には少年向けに、時には時事の議論を通じ意義を唱え続けた。

「自分は之まで独立自尊、独立自尊と云って、独立自尊一点張りでやってきた。人はまた独立自尊かと云ったが、しかし慶應義塾から独立自尊を取って仕舞えばお仕舞だ。独立自尊が慶應義塾の看板ではないか。…今日のように、唯経営、経営と云って指導精神を顧みないで、学校経営の企業化を計ることは、それは学校をして営利会社たらしめるものだ。学校は営利会社ではない。学校には経営も必要だが指導精神はより以上に必要だ」とも語る。塾長としての多くの行動や決断には、常に独立自尊の指導精神が基にあったことが伺える。財政再建も、私学として国から独立し独立自尊の定義の1つ自労自活を目指し尽力したわけである。

また、鎌田の福澤観は非常に鋭い。福澤の発言はその時の社会、世間の有様によって変わっているが、数十年単位で見れば主義は一貫している。鎌田は、その様子を1つの脚は中心から動くことなく、もう1つの脚は伸縮自在、大小様々の円を描く「コンパスの如き人」と見事な比喩で言い表している。この表現は現在福澤の発言や行動を研究する上で重要な切り口になっている。

このような福澤の良き理解者、独立自尊の伝道者が25年もの歳月慶應義塾を支え続け、福澤精神を継承、定着させたことは、幸いであった。

「私学の恩人」偉大なる平凡

塾長としての後年、一部から不得要領、優柔不断、ヌーボー式などと批判されることもあった。しかし、「誹られたからというて腹も立たないし、讃められたかたというて嬉しくもないが、何とかして塾の基礎を固め永久に末広がりに発達せしめたい」という強い想いのもと、周りに流されることなく、全体を見、時機を見ながらの行動を貫いた。また、明治39年貴族院議員として勅任されて以降、44年には教育調査会委員、大正6年には臨時教育会議員などの役職を塾長と共に兼務し、その立場から私学の独立発展にも貢献した。小泉信三は、鎌田を「私学の恩人」とも表現している。大正8年ワシントンで開かれた第1回国際労働会議の日本代表として、日本の国際的立場の確立への貢献も忘れてはならない。

大正11年、鎌田は、加藤友三郎内閣の文部大臣に任命され塾長を辞した。鎌田は慶應義塾学報での辞任挨拶において、現在の状況を示し、塾の長年の悲願であった官公私立の学校に上下や特権の差がなくなったことを祝し、「慶應義塾の前途は洋々春の海の如き」であると表現し去っている様は、とても印象的である。加藤内閣は短命に終わったものの、その後も帝国教育会長などの私学出身者としては異例の役職を歴任し、日本の教育に貢献した。

昭和9年、鎌田は、この世を去った。同じ和歌山出身で後に大日本放送協会長も務めた下村宏は、鎌田の人生には、「山もあり谷もあり川もあり海もあったのだが、それでいたるところ平々凡々何等の事端が起こらずに、風も吹かず波も立たずスラスラと過ごして来た。故人は要するに偉大なる平凡である」と追悼した。戦前戦中の塾長小泉信三が有事における独立自尊のリーダーであるならば、慶應義塾をコツコツ支え、福澤精神を伝え続け、私学の発展を一歩ずつ進めた鎌田は平時における独立自尊のリーダー、偉大なる平凡であったと言えるのではないだろうか。

福澤墓前の鎌田(常光寺にて)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです

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