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【福澤諭吉をめぐる人々】
3人の姉

2016/05/01

福澤の家族論

なぜ福澤は姉(特に鐘)に対して強い義務感とも受け取れるほど手厚く面倒をみようとしたのだろうか。その理由について、鐘宛の手紙で次のように説明している。

「兄弟姉妹というと何か縁の遠いように見えるけれども、父母の目から見れば同じ子どもであり、そのかわいさは同じである。今姉弟の中では私が一番恵まれているのだから、姉3人だけは私が引き受ける覚悟をもっている。世間はいざ知らず、福澤の家風、父母の教えが遺っているからである。」

つまり、福澤にとって姉を世話することは、亡くなった父母の視点から子どもである自分たち姉弟をとらえ、父母が生きていたら為したであろうことを自分が代わりに引き受けたことを示している。したがって姉への思いやりに父母の親心が重なった心情が表れていると解釈すべきなのだろう。だから福澤が自分の存命中は姉を引き受ける覚悟だと、固い決心を繰り返し述べているように、その情は変わることのない深いものになったのだ。特に不幸続きだった鐘や徳田しほに対する優しさをみると、困っている人に手を差し伸べることを躊躇しなかった母・順の精神が福澤に継承されているとみることもできるだろう。

最後に、福澤の思想における家族の位置づけをみておきたい。一身独立から一国独立を実現しようと考えた福澤にとって、個人の精神的自立には徳を修めることが必要であった。徳を修める場は、個人が他人を尊ぶ気持ちを養う役割がある家族であり、一身独立した個人によって形成される家族の独立(一家独立)と団欒は欠かせない要素であった(西澤直子『福澤諭吉とフリーラブ』)。また、福澤は家族とは情で結びついた争いのない関係であるととらえ、著書や手紙で一家団欒の大切さ、素晴らしさを語った。例えば『福翁百話』では、西洋では家族団欒を「スウィートホーム」といい、「楽しき我家の義」であると紹介した。実際にそのような団欒を楽しみ、一家総出の家族旅行に好んで出かけたのである。

さらに、福澤が実子一太郎・捨次郎兄弟に対して伝えた「ひゞのをしへ」には、「兄弟けんかかたくむよう」という一節がある。一見すると一般的な説教にみえるが、これまで述べてきた姉弟愛をふまえると、単なる題目ではなく、自らの真情、実感をもとに伝えていることがわかるだろう。その点で福澤の家族に関する言説には言行一致した強い説得力がある。福澤は、自分のことを学校の先生ではないと強調していたが、ときに自らは実践していないことをも生徒・学生に説教で押し付けようとしがちな教育者とは無縁であったことは確かだと言える。

※ 手紙の内容はすべて『福澤諭吉書簡集』所収のものを現代語訳した。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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