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【三人閑談】
江戸の版元

2025/01/08

江戸時代の出版ビジネス

津田 19世紀になると、草双紙では2時間ドラマみたいな物語が流行り始めます。所謂敵討ちものです。そういうストーリーは誰にでも面白く読めるものでした。

鈴木 ストーリーを追えば理解できる作品は書くのも楽なんだよね。かつて大映や東映が「プログラムピクチャー」という長編映画を量産していましたが、これらも物語のパターンは同じでしょう。観ているほうも安心できる。一九や京山が人気を博したのは安心できるものが書けたからでしょう。

津田 そうですね。

鈴木 ドリフターズ的と言ってもよいかな(笑)。

津田 いや、今思えばドリフターズはとがっていましたよ(笑)。それで、草双紙の分量も、黄表紙時代から合巻となって増えた。そして、出版部数も。天明期の頃の黄表紙や草双紙の出版部数は250部ぐらいだったと言われますが。

鈴木 そうですね。200部売れればトントンだったようです。

津田 それが文政の終わり頃、1830年代に入る頃は、京山の談では、馬琴・柳亭・京山は5000部は当たり前、当たれば7000部になったと。草双紙の発行部数の桁が変わっていきます。

鈴木 そう。読本より合巻の方がよっぽど儲かると馬琴もぼやいていますね。

津田 京山が越後の鈴木牧之(ぼくし)に送った手紙によれば、「合巻の作は金子(きんす)膝の上に在るがごとく」だったそうです。即座に原稿料を引き換えられ、手紙1本で版元から金も調達できたとか。京山は忙しすぎて、兄のように戯作に集中できなかったのですが。

鈴木 ですが、当時読む人がいっぱいいたわけでしょう。

津田 そうです。京山はもともと丹波篠山(たんばささやま)藩の老公に仕える近習(きんじゅう)だったので、大名家時代の学びで茶道や書道、篆刻(てんこく)でも専門家として活動していましたし、お兄さんのタレントショップ「京伝店」の立て直しにも忙しかった。娘が奉公すれば、狂歌好きの殿様に呼ばれ……。たぶん一番気合いが入ったのは、天保改革直後の数年です。草双紙市場にスターがいなくなり、ベテランの彼が支えなくてはならなくなって。

『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』の件で、旗本の柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が筆を折らざるを得なくなって死んでしまい、馬琴も目が悪くなって書けなくなっていました。次世代の作者たちが揃うまで、80歳を前に大車輪で仕事をした時代、天保改革の影響と合わせて、興味深いです。

石村 作者が執筆料をとるようになったのは、そのころですね。

津田 作者がちゃんとお金がもらえるようになったのは京伝の時代からとされています。

鈴木 そうですね。それ以前の本の作者は商売の1つであっても、職業と呼べるほどではありませんでした。

石村 他の仕事との掛け持ちで受けていたということですか?

津田 一九以外はそうですね。

鈴木 一九は筆でしか食っていけなかったから仕方がない。

津田 そういう事情もあって一九の執筆量は尋常ならざるレベルですよね。ジャンルも多岐に渡っています。

鈴木 一九の名前は出ておらず、筆耕だけやっている本もあります。たぶんバイトで受けていたのでしょうね(笑)。一九の字は見ればすぐわかりますから。「べらぼう」ではどなたが一九を演じるのか楽しみです。

石村 そうですね。今はまだお伝えできませんが(笑)。

江戸の版元は本屋のことだった

津田 大河ドラマでは平秩東作(へづつとうさく)や、田沼意次の家臣で、松平定信に糾弾されて非業な最期を遂げる土山宗次郎はどうだろう、といったことも個人的に気になっています。東作は蝦夷に行くわ、平賀源内の遺体は始末するわ、土山様の逃亡に加担するわ……。

鈴木 曲者ですよね。

石村 平秩東作の配役はもう発表されていて、木村了さんが演じます。今後も戯作者や絵師のキャスティングも発表していきます。

津田 西村まさ彦さんが同じ名字の西村屋与八を演じるのも面白い。

石村 そうですね。NHKで以前放映した、『眩(くらら)~北斎の娘~』というドラマでも西村屋を演じています。

津田 今回もそのご縁で?

石村 どうでしょうか。西村屋は蔦重と完全なライバル関係ですよね。

鈴木 本当はそれほどドラマになるようなバチバチの関係ではなかったのです。大河ドラマでは誇張されて描かれるのかもしれませんが。

津田 今の時代は逆に、そんなバチバチよりも、皆仲良くのほうが、視聴者にウケそうですけどね。

石村 同じ江戸の地本問屋ではありますから、ライバル同士でも底にあるものは一緒だったのではないかと思います。例えば、上方の本屋には負けたくないとか、江戸を盛り上げたいといった志は同じだったのではないかと。

それは西村屋だけでなく、鶴屋喜右衛門にしても、鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)にしてもそうだったのではないでしょうか。

鈴木 今の時代は出版と言えば、出版社が本を作り、取次がそれを小売りに運ぶ、という感じで分業体制になっていますが、江戸時代は出版も卸しも小売もすべて本屋がやっていました。このうちのどれが一番大切かというと卸しと小売り、つまり流通なんですね。そのために出版物を作っていたようなものです。

「江戸の版元」と言う場合、現代のイメージに近いのは本屋なんです。本屋は他の本屋から仕入れて、店の在庫を充実させる。互いにそういう協調関係がありました。

地方に出版物を出荷する時には協力し合って同包して送ったり、1社が代表して両替商に為替を組んでもらったりといったことも行われていたようです。だから仲良くしないとやっていけないというのがまず基本にある。

石村 自分の店で出版しているのだから、別の店には置かないでほしいみたいなことはなかったのですか?

鈴木 ないですね。むしろ相手の邪魔をしないようにいろいろな企画を立てながら、向こうに足りないものを引き受けたりして補完し合っていたように思います。鶴屋と蔦屋は同じ作者に依頼しているけれど、企画の趣向を変えたりしていますし。

それらをお互いの店で仕入れ合ったりすれば、全体的にいい感じの店づくりになるじゃないですか。実際は持ちつ持たれつだったと思いますよ。

津田 流通で言うと「本替(ほんがえ)」のシステムにも触れておきたいです。江戸の本屋には自分の店で作った本と他所の本を等価交換する仕組みがありました。草双紙がいい例で、似たような作りの本が一斉に出ています。

鈴木 19世紀になると多くの版元で似たような形の本を出版するようになり、本屋もジャンルごとに品揃えをするようになる。出版点数が増えて支払いが煩雑になるのを避けるために実物の本で取引きする、そのために本そのものの形式が統一されていくといったことが起こりました。

普通、他の店の本を仕入れる時には現金で7掛け、8掛けで卸してもらい、それで2割、3割の儲けを得るのが基本でした。本替にどういうメリットがあったかと言うと、基準価格同士で交換し合えたこと。一見損をするように見えるけれども、本の制作費は高くても売値の3割ほどでした。

等価交換できれば、8掛けで仕入れるものが3掛けで仕入れられる。自分の店の品揃えを充実させるために、出版して本替えし店の品揃えを増やしていっていたのです。

石村 なるほど。

鈴木 草双紙の綴じ分けは、寛文期から寛延期に出版された赤本の頃から5丁(10ページ)が基本とされてきました。これはまさに等価交換を旨とする本替を前提とした本作りです。その作り方が引き継がれていくのですが、刷りが凝ったものが増えてくると等価交換が成り立たなくなっていく。京山の時代になるともめごとになったりします。

江戸の本を再現するのは難しい

鈴木 本屋の商売はさまざまなことをやっていたので、一口に「版元」と言っても出版物だけで評価するわけにはいかないのです。その本屋はどこに店を構えてどのように商いをやっていたのかという全体を総合して判断しなければいけないのですね。

石村 その上、出版物を作るには本の作者だけでなく、絵師や彫師、摺師の存在も欠かせませんよね。「べらぼう」にも喜多川歌麿や礒田湖龍斎(いそだこりゅうさい)、北尾重政ら多くの絵師が登場します。そういう人々をなくしては蔦重の作品は語れません。

彼らのことはドラマの中でも描いていきますし、本作りのプロセスも見せられたらなと思っています。多くの視聴者の方々は、この時代の本や錦絵がどのように作られるのかを、おそらく詳細に知っている人はあまりいないのでは、という前提に立って、その部分は丁寧に描いていきたいと思っています。

津田 ドラマ制作のために版木を作ったりするのでしょうか。

石村 そうですね。もちろん本作りのプロセスをドラマで毎回すべて再現することは難しいですが、歌麿や写楽も登場しますので(笑)。蔦重が初期に手掛けた錦絵などは実際に再現してみたりしています。

鈴木 摺物も難しいですが、本はもっと難しいですよね。私も考証でお手伝いしているので、助監督の方からは「表紙の色はこれで正しいか」などとしょっちゅう訊かれていますが、「これでいい」と言えないんだよね(笑)。

石村 実際に当時の色を見ているわけではありませんからね(笑)。

津田 黄表紙や青本などはとくに困りませんか?

鈴木 困りましたよ。

津田 以前、東京藝術大学にいた頃の大和あすか氏にご協力をお願いし、慶應義塾が所蔵する青本・黄表紙の色を機械で測定していただいたのですが、どのような材料を使っているか、まったくわからなかった。

青本は萌黄(もえぎ)だったろうというのが定説ですが、草双紙の泰斗、木村八重子氏はご著書で、青本の表紙は露草の青だったのではないかと書かれています。植物性の絵の具は退色するので、今でも謎のままです。ドラマでもそのあたりのご苦心があるのだろうと思います。

石村 難しいですよね。ドラマでは考証の先生方のアドバイスをいただきながら作ってはいますが。

鈴木 なるべく本来に寄せようとはしていますので、津田さんもクレームを寄せないでくださいね(笑)。

津田 私がクレームを言うとしたら、18世紀後半に流行った本多髷(ほんだまげ)が忠実に再現されているかどうかかもしれません(笑)。あの鼠の尻尾みたいな独特のちょんまげ。ドラマ制作にはそういう江戸の風俗を考証する人もおられるのですよね。

石村 そうですね。それぞれの専門の分野の方に考証してもらっています。

津田 江戸時代を扱った時代劇でも前期と後期では風俗がずいぶん違うので、予算の面からも実際には使えないでしょうね。例えば、枕の使い方や髪型も変わるし、着物の幅や帯も全然違います。

鈴木 元禄時代の風俗を忠実に再現したとしても、視聴者にはおそらくピンと来ないですよね。

津田 大映や松竹がかつて作っていた時代劇、江戸時代の文化や生活習慣が残っていた時代の制作陣が作るものは、やっぱり19世紀風です。

ところで「べらぼう」は登場人物の数で言うと、どれくらいの規模になるのでしょう? 版元だけでなく作者や絵師、彫師、摺師、吉原の花魁や忘八(遊郭の楼主)、幕府側の人間もいるでしょうし、それこそ狂歌師だけでも名だたる人を並べると相当な人数です。

石村 ドラマでは全員はおそらく紹介できないので、やはり蔦重のネットワークをベースに、戯作者や絵師が多く登場するドラマになると思います。すでに発表している配役だけでも60人近い出演者の方が決まっています。物語が中盤から終盤に進むにつれてまた新たな登場人物が出てきます。

「べらぼう」は徳川幕府の政治と町人文化の2つの軸でストーリーを展開していくので、通常の大河に比べても役者さんの人数は割と多めだと思います。本を作っていく過程も専門の方々に助けていただきながら実際に作っているので、そこも見どころの1つとして期待していただければと。

絵師が絵を描くシーンも注目です。何よりエンターテインメントの力で世を変える蔦重の物語に注目してください。

津田 ますます待ち遠しくなりました。放映開始を楽しみにしています。

(2024年11月25日、オンラインにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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