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【写真に見る戦後の義塾】
日本一周早慶自動車レース

2022/02/24

日本一周耐久レースは1953年の第1回から1966年の第13回まで行われた。初回は本州一周だったが、第2回で九州を加え、第3回には北海道一周も加わった。第1回は東回りが早大、西回りが慶大と分かれてのスタートで、相手校のインスペクターが同乗した。第3回から両校同一で東回りとなった。
1954年の第2回スタート。右が慶應車(日比谷公園)
第1回の慶應チーム。第9チェックポイント(青森)にて
広島で歓迎される慶應チーム(第2回)

甚だ僭越ですが、「三田評論」からのご依頼で驚くほどの古い古い昔の思い出を綴ってみます。

1953年8月、日産自動車(株)の新車のトラック(ウェポンキャリア)の試用として第1回日本一周早慶耐久自動車レースの計画が実施され、4年生だった私も参加しました。昭和初期にモーター研究会として発足した自動車部はこの前年に体育会加入となっていました。早慶両校の自動車部の日本一周という大変な珍事を初めて行ったごく一部をご報告します。

今のようにすべてが整っている時代と異なり、ご理解いただけない話ばかりです。エンコしないガソリン燃料の新車で、国のためになる新計画をこなすべくの試し乗りですので、楽しいやら怖いやらでした。当時の車は一般車は薪(マキ)が燃料で後ろから煙を出して走ったものでしたが、今回はガソリン燃料の新車の走行ですので、慣れない車の移動は半分は興味、半分は心配で長距離を走ったわけです。一周レースは良い経験と怖さと珍しさで終了しました。

スタート場所は東京の日比谷公園、燃料はガソリン走行、見たことも走ったこともない都会と田舎の長時間運転はなんとも表現できない未知の世界でした。街中を走行している時は滑らかにスピードを出して、田舎道になると悪路の上、大きく飛び出している民家の屋根瓦を避けながら、車がやっと走れる小道やすれ違い出来ない場所といった走行の連続でした。早慶両校のガソリン燃料の自動車部耐久レースと聞こえはよいものの、恐ろしさと疲れとで何日かを過ごしました。しかし楽しいこともあり、大都会を通過する時は在住の先輩方のご厚意で食事会等のもてなしを受け、慰労と体力回復の一時がありました。全行程を三交代で走りましたが、私はスタートの日比谷から下関までの区間第1班の搭乗者でした。そこから日本海側を青森まで行き、仙台を経由して東京に戻る本州一周の10日間の行程で、燃費、走行時間、事故の有無等で得点を争い見事勝利することができました。人の名前や1日1日異なった毎日の走行、まだまだ楽しい思い出がありますが、すべて記憶できない超老人の一筆です。

(体育会自動車部OB[1954法]・内田 豊)

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