【写真に見る戦後の義塾】
創立90周年式典と馬術部
2022/01/26



体育会馬術部の起源は、1920(大正9)年に遡り、当時は「乗馬会」という名称でした。陸軍騎兵隊の軍馬を借りての練習でした。第1回早慶戦は、1929年に陸軍砲兵学校で行われました。
最初の厩舎と馬場が、日吉の現在地に建てられたのは1941年。このほど、馬術部百年の歴史を記念して、三田乗馬会(OB・OG)や慶應義塾大学、父兄、篤志家らの浄財によって、新しい厩舎と馬場が完成しました。中等部から高校、女子高校、大学、医学部生が同じ馬場で練習に励んでいます。
特記すべきは、1951年9月、日吉馬場で、当時の皇太子殿下(現上皇陛下)をお迎えして、慶應高校対学習院高等科の定期戦が行われたことです。学習院高等科の主将を務めた皇太子殿下は、数多くの競技に参加されました。殿下は、ある時、皇居内で行われた1952年の立太子礼記念馬術大会の障害馬術競技に出場されました。前走の慶應・森村選手が落馬、馬の下敷きになって即死。そのとき、殿下の教育掛りの小泉信三元塾長は、エントリーしたのなら出るべきだ、と言ったというのが馬術部での語り草になっています。
陛下は、馬術部OBの情勢にも詳しかった。私が毎日新聞の記者時代、小児がんコンサートで陛下をお迎えしたとき「先輩のTさんが亡くなりましたね」と声を掛けてくださいました。また、私の現役時代の監督、浜野啓介監督は、皇太子殿下にポロ競技を教えておられました。
1966(昭和41)年に卒業した、私の初任地は横浜支局でした。同期に慶應の仲間もおり、二人とも警察を担当していました。新米記者の私は、取材相手の警察官からネタを獲るのに苦労しました。役立ったのは「法学部」でなく「馬術部」での経験でした。一人一人の癖を馬と比較したら、コミュニケーションが上手に取れるようになったからです。もう一つわかったことは、慶應ボーイだけの集まりだと世間がわからなくなることです。
(三田乗馬会副会長 前田 昭)
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