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【写真に見る戦後の義塾】
図書館八角塔の風見鶏復活

2021/11/26

空襲で崩れた書庫の屋根は戦後まもなく復旧したが、完全修復落成は1949年5月であった。八角塔の風見鶏は単なる避雷針となり、その再現が強く望まれていた。1982年、新図書館開館後、旧図書館大改修が行われ、八角塔の屋根はトタンから、従来のスレート葺きになり、以前の写真を元に風見鶏が作られ、10月20日に設置工事が行われた。
1960年代の八角塔と避雷針
2019年、耐震工事を含む大改修工事を終えた図書館旧館

緊急事態宣言が明けて久しぶりに都心へ。目的は慶應義塾史展示館。資料を基に、展示のパンフレットのイラストを制作したのだが、正式にオープンした姿は未見だったのだ。旧図書館にオープンした展示館は建物にぴったり、資料で見たのと実物の迫力の違いに感動させられた。

旧図書館の外観もすっかりきれいに仕上がっていた。免震工事と補修を兼ねて、長いこと覆われていたパネルがすべて取り払われていたからだ。しかしそれだけではない印象を持ったのなぜなのか。塾監局の前まで行って振り返ったらその訳が分かった。旧図書館のシンボルともえる八角塔から時計のある棟まですべて一望のもとに見えるのだ。八角塔と入り口の階段の間にあった巨大なヒマラヤ杉が無くなっていたのである。

この八角塔は何度絵に描いたか知れないほどだ。三田のシンボルでもある。塾に関係した絵を描くことも多かったので、いつも八角塔の手前にはヒマラヤ杉がそびえていたのははっきり覚えていた。それが無くなって図書館の全容が姿を現したのである。

関係者に聞くと、改修工事をするため2016年に切られたのだという。もともと図書館の出来た頃にはなく、関東大震災の復興の頃に植えられたらしいという。1945年の空襲では屋根などが焼け落ちて、戦後すぐに復興されたが完全ではなく1982年に戦前の姿に補修されたという。実はその時に、戦災で焼け落ちた八角塔にあった風見鶏を復元したのだという。

ということは僕の通っていた頃(1966年卒)はまだ風見鶏はなく、ただの避雷針が立っていただけだったことになる。じっくり八角塔の上を見ることがなく、今まで気が付かなかった。ヒマラヤ杉が無くなり真上まで全体が見渡せると、1982年に復元された風見鶏が良く分かる。戦前の写真をもとに復元したというのだが、全長は約4メートルにもなるのだと。東日本大震災にも耐え、新たに改修なった図書館の再生のシンボルのように感じさせられた。ついでに言うと、この重要文化財の八角塔の一階はカフェ(その名も八角塔)になっていて誰でも利用できるのだ。

(漫画家 ヒサクニヒコ)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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