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【写真に見る戦後の義塾】
女子学生ルームができた頃

2021/10/28

女子学生ルームは1963年に山食内の南隅に新設。準備委員会は9月の利用開始前に「女子学生の就職講座」を5回開催し、働く先輩の意見を聞いた。1963年2月末の学部学生数は21,748名。うち女子学生は1,723名だった。ルームは1991年秋、山食取壊しまで存続し、終盤は通信教育課程夏期スクーリング中の授乳等の場所として母親学生会に貸し出された。

5月開催の第3回就職公演会のポスター
1964年7月、求人情報を見る男子学生たち。女子の姿はない。(西校舎)

ある日突然、慶應の広報室からお電話を頂きました。「1963年に女子学生ルームの就職講演会で学生相手にお話しくださいましたね」「??いえ記憶にございません」「その時のお写真に千野さん(旧姓)とお名前があるので確かです」。ということから、私は、十年ひと昔として、六昔前の記憶をたどり、当時の就職難の時代、右往左往した様子を思い出すことになりました。今でも年配の方からご卒業は何年ですか? と問われ「昭和36年です」と答えますと「あの年は女子の就職は大変でしたね」と言われることがあります。その年の女子の採用はマスコミ関係では放送局のアナウンサー職だけだったのです。全体数は分かりませんが、就職を希望する女子学生が多数駆けつけたようです。その「時」は、あっという間にやって来て、幾つかの放送局を走り回って、嵐のように去っていきました。落ち着いた時には気の抜けたような疲労感と、充足感が残りました。

当時女子学生が増えたとはいえ学内で女子が集まって話し合うということもなく、就職時に意見交換した記憶もありません。新聞の求人欄を見て海外特派員の秘書の職に就いた人。母校に教師として採用してくれるように頼み込んで職を得た人。それぞれ努力し、闘争をしていたのです。

NHKに入局した当時、就職をするということは当然定年まで勤めることと思っていましたが、先輩の男性が私の顔を覗き込み「あんたかね定年まで勤めるというのは」と言われた時は心が冷える思いがしました。また、女性が集まって話し合うことも多く、なんとなく鬱陶しさを感じて先輩にもらしたところ「女はまだまだ職場内でも立場が弱い。だからこそ時としてまとまることは必要なのよ」と言われ女の集団の重さも味わいました。

丁度この頃ですね「女子学生ルーム」が出来たのは。女子学生にとってはとても心強かったと思います。写真から見る学生たちの、不安そうな表情の中にも未来への期待が感じ取れる眼差しに胸が熱くなります。出席していらっしゃった方々の「今」が気になります。それにしても、私の記憶に残っていないこの集会の貼り紙のこと、ご存じだったらご一報くださると嬉しいです。

(元NHKアナウンサー 橋本潤子)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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