三田評論ONLINE

【写真に見る戦後の義塾】
図書館と研究室をつなぐ渡り廊下

2020/10/26

1995年。後ろには前年竣工した北新館(現北館)が見える
改修工事進む図書館を北館から望む(2018年夏)
渡り廊下内部
工事完了後(2019年6月)

図書館旧館と第一研究室の間を抜け、緩く丘を降りると三田の北門に至る。半世紀前そこは「山食」ほか2、3の木造2階建ての建物が並ぶのみで空が広く開き、坂上から東京タワーの立ち上がりが見通せた。しかし1969年暮れに地下2階地上7階の新研究室が立ち上がると、その間道はにわかに狭苦しくなった。さらにせせこましさを増したのは急遽研究室棟3階と図書館書庫を繋ぐ、怪しげで危なっかしさを覚える空中廊下がとりつけられたせいである。とは言えその廊下は、図書館と研究室図書室の組織統合によって、翌年発足した三田情報センター施設のかなめの1つであった。まず研究室棟の高層階に個室を並べる法・商・経済学部の教員たちの不満が募ることになった。図書館書庫へのアクセスが最悪だと言うのである。次いで研究室棟の図書館寄り3分の1のスペースを使用することになった情報センター業務にも同様の問題が予測された。間接部門業務の全てを研究室内施設に移し、サービス部門を図書館側と教員利用に特化した研究室側に配置することにしたためその機能が分断されることになる。

そこで新研究室棟建設計画になかった図書館第三書庫2階(建物構造上は3階)と研究室棟3階を連結する「渡り廊下」工事が、施設部の苦肉の策として追加された。その廊下は、全長約14米(メートル)、幅1.8米で外側からは平行で直線にみえるが、研究室側からやや右ドッグレッグで、しかも斜度が付いていた。そのような形状であったため、図書館側へは前屈み、逆方向には反っくりかえり気味に移動せざるを得なかった。おそらく強度の確保のためだろうか、窓1つ取り付けられていなかったので、陰鬱な雰囲気をただよわせていた。図書館業務上、資料を大量にブックトラックに積み込み両施設を移動するのは不可欠だが、その都度いささかスリリングな作業が日常的に繰り返されていた。

件の空中廊下は、2018年夏ごろまで存在していたが、図書館旧館の耐震改修工事にともない取り外され、いまは語り草の1つになった。

(元慶應義塾研究・教育情報センター本部事務室長 澁川雅俊)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事