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【写真に見る戦後の義塾】
三田山上での野外入学式

2020/06/30

戦前まで式典会場であった三田の大講堂(大ホール)は昭和20年5月の空襲で建物内部ががれきと化した。 そのため戦後は、昭和24年4月23日に新制大学初の入学式が行われたのをはじめ、三田の中庭で卒業式・入学式が挙行され、旧・日吉記念館が昭和33年秋に竣工するまで野外式典が続いた。上の写真では、第一校舎の左には昭和24年に竣工した学生ホールが見える。食堂や学生施設が設けられた学生ホールは昭和36年にキャンパス北側に移された。
  • 倉田 敬子(くらた けいこ)

    慶應義塾大学大学院文学研究科委員長、文学部教授

この2枚の写真は、文学部図書館学科(当時)に昭和29(1954)年度から昭和30(1955)年度まで米国のニューヨーク公共図書館から赴任されていた訪問教授ボン氏(George S. Bonn、 1913-2003)が撮影された写真です。ボン教授が正確にいつ日本にいらして、いつ帰国されたのかの日付はわかりませんが、この撮影はおそらく昭和30年4月11日に開催された入学式のものと思われます。

上の写真を見ると、第一校舎と大銀杏に向かって学生が整列しているのがわかります。左手の白い2階建ての建物が第3研究室で、その奥にレンガ作りの大講堂が見えます。大講堂は大正4(1915)年に建てられ、関東大震災後の修復で3階バルコニーにユニコーン像が設置されていました。昭和20(1945)年の空襲で焼失し、昭和32(1957)年に取り壊されました。もう1枚の写真は第3研究室とその奥の木立の中に演説館がわずかに見えます。第3研究室は谷口吉郎による設計で昭和27(1952)年に竣工しました。

この年の入学者は2,578名で、女性の入学者がいることは写真でも確認できますが、何人であるのかの記録はわかりませんでした。ただ、前年度の卒業者1,967名のうち女性が76名という記録が残っていますので、入学者も百名弱であったのではないでしょうか。

この写真を撮ったボン教授は、帰国後ニューヨーク公共図書館で再び勤務しますが、その後ハワイ大学の図書館学校、インドのデリー大学の図書館学校でも教鞭をとっており、国際的に図書館情報学教育に携わっていたことがわかります。日本にもその後何度か来日され、日本文化に高い関心を持ち、幕末・明治期の浮世絵を収集し、そのコレクションは慶應義塾大学メディアセンターに寄贈されオンラインで見ることができます。

2020年度の入学式は、新型コロナウイルスの影響で延期となっています。従来通りの入学式を挙行することはまだ困難と考えられます。戦後のまだ物資に困窮していたであろう時代の三田中庭での入学式の写真は、学生の入学を祝う新しい形を模索していかなくてはいけないという思いを強くしてくれる気がいたします。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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