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【写真に見る戦後の義塾】
第2回世紀送迎会

2020/04/28

フィナーレを迎えるステージ
「21世紀へのメッセージ」ボード
閉会宣言をする天野恵君
「21世紀への宣言」を叫ぶ、女子高生と幼稚舎生
  • 石黒 敦子(いしぐろ あつこ)

    慶應義塾元広報室長

21世紀の前夜にあたる2000年の大晦日、三田山上で第2回世紀送迎会が開催された。これは100年前の1900年12月31日に、大学部学生主催で開催された世紀送迎会に由来する。当時は、「多事な19世紀は愈々(いよいよ)逝きて、洋々たる20世紀はここに来れり」という、のちの塾長林毅陸(はやしきろく)の「逝けよ19世紀」と題される祝文が朗読され、日本の悪習を描いた風刺画の一斉射撃、そして零時には「20センチュリイ」の仕掛け花火が夜空に浮かんだという。最晩年の福澤諭吉も参加して、翌朝に「独立自尊迎新世紀」と揮毫したのはよく知られている。

鳥居泰彦塾長の意向を受けて、第2回世紀送迎会実行委員会は、天野恵君(総合政策学部3年)を責任者とする学生たちと若手職員によって7月に開始された。その後、さらに学生や職員が加わり、一貫教育校も含め、企画が出そろったのは12月に入っていた。三田山上の時計を6時間早める「慶應時間」の採用が決まり、午後3時から6時の開催とし、参加者には受付で「慶應時間」に設定された腕時計が記念品として配布されることになった。

当日は、橋本龍太郎元首相と竹中平蔵教授の特別対談、12の20世紀の名授業、デジタルイベント「Time Browser」らのほか、各校舎では一貫教育校の展示など、盛り沢山の企画が繰り広げられた。中庭では三田商店街による甘酒の配布もあった。中庭ステージでは、開会宣言に続き、幼稚舎生から大学生までが壇上で目標を叫ぶ「21世紀への宣言」や『平家物語』の群読などが行われた。日が落ちると図書館旧館と東館がライトアップされて新世紀への機運を盛り上げた。慶應時間の零時には、中庭は参加者で埋まり、自発的に新世紀を乗り越えるという意味の「カウントアップ」で一足早く新世紀を迎えた。引き続き、鳥居塾長の挨拶、若き血の大合唱で盛り上がり、第2回世紀送迎会は天野君の閉会宣言で幕を閉じた。

「21世紀へのガイダンス」をテーマに、次世代に活躍する若い社中が中心になって開催した世紀送迎会、天野君は「新世紀はここにいる私たちが作るもの、自分の夢を考え、自分の言葉で語ることが希望の世紀を作る原動力」と語った。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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