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【写真に見る戦後の義塾】
日吉駅の変遷と歩道橋

2020/02/26

日吉駅構内(1978年)
駅は刷新されたが歩道橋がある(1999年)
  • 長島 敏樹(ながしま としき)

    慶應義塾大学日吉メディアセンター事務長兼理工学メディアセンター事務長

私が日吉キャンパスに通っていたのは1978(昭和53)年。日吉駅は当時から急行も停車する島式2面4線の駅で、最新の自動改札も設置されていた。しかし、横浜市営地下鉄や東急目黒線は乗り入れておらず、日吉東急アベニュー(できた当初は日吉東急百貨店)もなかった。駅舎は駅ビルと呼べるほど大きくはなく、駅の横にある駿河銀行(今の「スルガ銀行」)のビルのほうが立派だった。

そんな日吉の駅前に今ではなくなってしまったものがあった。それは写真にある駅前の歩道橋である。当時の日吉駅はホームが綱島街道とほぼ同じ高さのところにあり、改札口が2か所にあった。1か所はホームの中央あたりから階段を下り、地下通路を通って綱島街道側(東口)の階段を上ったところにあった。目の前の横断歩道を渡れば日吉キャンパスである。もう1か所はホームの横浜寄り先端の階段を上がったところで、そこから右(西口)にも左(東口)にも行けた。改札のまわりには定期券売り場や小さな売店などがあった。この改札を出て左に行き、さらに階段を数段上るとこの歩道橋に通じており、その先はキャンパスに直結していた。数段の階段を上がる手前に左に下りる階段もあって綱島街道脇に出られ、地下通路を通ってきたところの改札を出た乗客と合流し、横断歩道で綱島街道を渡ってキャンパス側に行くこともできた。だが、そこで信号待ちをするより歩道橋を渡ったほうが早かったので、日吉キャンパスの授業に出席するために日吉駅に降り立った塾生の多くは、この歩道橋を渡っていたのではないだろうか。反対にキャンパスから帰る時に友人と一緒になると、イチョウ並木の緩やかな坂道をおしゃべりしながらのんびりと下り、歩道橋は渡らずに信号待ちをして横断歩道を渡り、そのまま地下通路に通じる改札口から駅に入ることもあったように記憶している。

この歩道橋は日吉駅が現在の形に改修されてからもしばらく残っていたが、2002年8月に撤去された。どちらかと言うとせっかちな私は、信号待ちをしなくて済むこの歩道橋が無くなってしまったのが残念でならない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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