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【写真に見る戦後の義塾】
1970年代の三田通り──懐かしい喫茶店

2019/10/25

三田通り二丁目交差点 右から朝日屋、吉野屋(2階に京也)、泉屋、花銀、らぶりん(2階に洗濯船)
文銭堂、左端は原洋服店
ローダック、左隣りはラーメン二郎
平山書店、右はラーメン二郎、左に行くと正門
洗濯船入り口
  • 平尾 保弘

    慶應義塾名誉参与

写真は、1970年代の三田通りに面した商店街を撮影したものである。三田に通学していた方々は、三田2丁目交差点にある平山書店(右隣りがラーメン二郎)、コーヒー店のローダック、つるのや、らぶりん、洗濯船などに懐かしさを覚えるのではないだろうか。

私は、学生時代、邦楽団体の竹の会に所属し、東門(幻の門)を出て、すぐ左に位置する春日神社の社をお借りして練習していたので、その真向かいにあった喫茶店「文銭堂」(今は道路の反対側に移転して和菓子販売のみ)をよく利用していた。今の学生は、携帯電話という文明の利器があるので、待ち合わせる場所など必要はないだろうが、我々の時代は、そういう場所が必要であった。練習の日に限らず、その店に行けば必ずサークルの仲間がいた。いなくても飲食をしているうちに、友人たちが集まった。そういう時代であった。今日は練習するぞと勢いこんで大学に来たにもかかわらず、サークルの仲間とその店で会って4人になり、雀荘行きになってしまったこともよくあった。懐かしい、青春の思い出である。

私は、卒業後そのまま慶應義塾に職員として就職した。あとで慶應の人事部から聞いた話であるが、その当時慶應は男子卒業生から図書館以外は就職先として考えてもらえない存在であった。そこで人事課長は策を講じ、らぶりんの2階にあった「洗濯船」にたむろしている慶大生をハンティングすべく、頻繁に店に行って声をかけたそうだ。その結果、3人の男子を獲得し、私の同期職員となった。たった3人と思われるかも知れないが、同期の慶大卒男子の総数5名のうちの3名だから、前後の年度にもなかった大収穫だったのである。私たちは同期職員として40年以上の長きにわたって一緒に仕事をした。今は皆、定年退職しているが、時代を共有するかけがえのない友人である。学生時代から就職後と、当時の商店街だけでなく、その後の変遷も見てきているのだが、なぜかその変遷はあまり記憶になく、あのころの青春時代の風景が一番感慨深い。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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