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【写真に見る戦後の義塾】
日吉プールの想い出

2019/09/03

1970年頃、日本初の水球プールが後方に作られ、開業まもない日吉台学生ハイツがみえる
1960年代の一般公開
競技場の土手で憩う女子学生(1960年代)
1960年代の記念館周辺
  • 高嶺 隆二

    慶應義塾大学名誉教授

1960(昭和35)年、日吉キャンパスの日吉競技場と綱島街道の間(現在の協生館の場所)に、塾創立100年記念事業の一環として屋外の日吉プール(公認50メートルプール)が建設されました。私は、ちょうどその年に入学して体育会水泳部・競泳部門に所属し、入学1年目からこの新設プールで練習する幸運に恵まれました。このプールは2008年の塾創立150年記念事業の一環として競技場の改修と協生館建設のために2006年に取り壊され、現在プールは協生館地下にあります。

この屋外プールで1961年から2003年までの42年間、当時は、塾生皆の必修科目(1992年まで)であった体育実技で「塾生皆泳」を旗印に水泳授業が毎夏行われました。また1980年頃までの夏休み期間中は、地域住民向けの一般公開も行われていて大いに賑わったものです。日吉プールは、日吉駅から徒歩1分の場所という立地に加え、東横線沿線で一番きれいなプールと評判が高く、入場制限がかかり、入場待ちの人の行列が並木道に沿って記念館近くまで続くこともあるほど盛況でした。私たち水泳部員は交替で監視員を務めさせられたものです。

1961年夏、そのプールで石坂洋次郎の青春小説を映画化した、日活映画「あいつと私」の撮影が行われたのです。石原裕次郎演じる主人公の男子学生が、芦川いづみ演じる女子学生ら数人に問い詰められ、はずみでプールに突き落とされる場面で、それをご覧になられた方もいるかと思います。

私は、偶然その日にプールに行き、プールサイドから一段高い土手上の更衣室棟の前にプールを眺めて立っている石原裕次郎と、その周りに数名の女優がいることに気づき、驚いた記憶があります。映像で見る裕次郎が落されたプールの水は、青く澄んできれいでした。

日吉競技場の土手の芝生に憩う女子学生の姿がありますが、当時、大学の女子学生の数は多くはなく、私の在籍した政治学科のクラスでは、60名中女子学生は2名でした。昨今のような女性の大学進学率の飛躍的な向上は想像もできない時代でした。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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