三田評論ONLINE

【写真に見る戦後の義塾】
歴代天皇と慶應義塾

2019/05/10

1981年3月31日、慶應義塾図書館記念室で相良家文書の展示資料をご覧になる浩宮様(今上陛下)。左端が村山光一文学部教授、その右に飯倉晴武宮内庁書陵部主席研究官。右端が長谷山現塾長、その左に高橋正彦文学部教授。
1958年11月8日、創立100年記念式典後、日吉記念館を出られる昭和天皇と、常任理事(カメラマンの右より、町田義一郎、松本正夫、石丸重治)。
2008年11月8日、創立150年記念式典に臨席されるため日吉キャンパスを訪れた、天皇皇后両陛下(上皇上皇后両陛下)。
  • 長谷山 彰

    慶應義塾長

一般には余り知られていないが、慶應義塾と皇室の関わりは深い。福澤諭吉が『帝室論』を著して、伝統と文化の守護者としての天皇の役割を示してから半世紀以上を経て、小泉信三は皇太子明仁親王(現上皇陛下)の教育掛となり、『帝室論』をテキストの1つとして、国民主権の新生日本における象徴天皇のあるべき姿を共に模索した。

昭和天皇は、まだ瓦礫の山が残る戦後復興途上の三田キャンパスでの義塾創立90年記念式典に続き、義塾創立100年記念の年にも、復興の象徴である日吉の記念館での式典に親臨された。

平成20(2008)年、義塾創立150年の際には当時の天皇・皇后両陛下を日吉キャンパスでの記念式典にお迎えした。筆者も文学部長として壇上にいたが、陛下はお言葉の中で、明治以降の近代化において、慶應義塾が人材育成を通じて果たした歴史的役割を評価された。11月の式典前後はかなり冷え込んだが、事前に宮内庁から、壇上者はコート着用でと依頼があり、「皆さんが着用されないと陛下もコートをお脱ぎになるので」と告げられた。そのとき、陛下のお人柄の一端に触れる思いがしたことを記憶している。

「月去り星移り」、令和元年5月1日、新天皇が即位し、新しい時代が始まった。昭和56(1981)年、皇太子に即位される以前の徳仁親王(浩宮)が、三田キャンパスを訪問されている。歴史学がご専門の浩宮様は、義塾が所蔵する鎌倉以来の大名相良家に伝わる重要文化財相良家文書を参観された。宮内庁書陵部の飯倉晴武主席研究官と高橋正彦文学部教授が全体の説明を行い、筆者を含む、当時の大学院生が数人分担して、古文書の内容をご説明した。浩宮様は時折質問を挟まれながら熱心に文書をご覧になっていた。写真を見ると、左端に中等部長も務めた筆者の恩師村山光一文学部教授、後方には現武蔵野大学教授の漆原徹君が写っている。後日、「浩宮がお世話になりました」と皇后陛下から菊の紋章入りのどら焼きが大学院生に届いたのには恐縮したが、若かった一同は遠慮なく頂戴した。

令和の時代が、平和な良き時代となることを心から願っている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

  • 1
カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事