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【写真に見る戦後の義塾】
三田の花時計と日吉の噴水

2019/04/11

オリエンテーションで混みあう噴水周り。後ろは旧塾生会館(1984年)
旧塾生会館屋上からみた中庭の噴水(1966年)
国際大学協会一行来塾の日(1965年9月)
  • 石黒 敦子

    元広報室長

キャンパス環境は自分が学生であった半世紀近く前に比べると格段によくなっている。校舎等の施設の整備はもちろんだが、例年、卒業生一同から寄贈された卒業記念品もキャンパス環境向上の一翼を担ってきた。卒業記念品は、卒業準備委員会が園遊会の準備とともに後輩のために知恵をしぼって計画実施していたものである。キャンパスの案内図や伝言板、施設入口のサイン、三田第1校舎前の大理石ベンチ、あるいは三田の彫刻「星への信号」、日吉塾生会館の壁画、湘南藤沢キャンパスの藤棚、矢上キャンパスの両面ポール型太陽電池時計(2007年度)など、さまざまな卒業記念品が残されてきたが、準備委員会が設けられなくなった2008年度以降、卒業記念品は実施されなくなった。

こうした卒業記念品がいつから始まったかは定かではないが、古くは1963年度、三田の中庭の南校舎階段を上ったところの現在も残る花壇に、花時計が贈られた記録がある。また翌64年度は日吉の第4校舎前の噴水が寄贈された。直径3mの花時計は文字盤に色とりどりの花が植えられ、当時三田で唯一の戸外の時計として南校舎の上からよく見えた。しかし、いつのころか姿は消え、いまは上に低木が生えている。立札のみがつい最近まで残っていた。

他方、65年9月5日に完成披露が行われた日吉の噴水は、創立150年事業の日吉キャンパス改修に伴い2007年9月に撤去されるまで40年以上の長きにわたり、いわば日吉の中庭のシンボルとして存在したので、覚えておいでの方も多いことだろう。当初は中央に台座があったが、のちにそれがなくなった。水が止まっていたこともあったように記憶している。さらに最後は噴水が撤去され、池だけだったのではないかと記憶があやしい。完成当初は、周囲にベンチが用意されていて学生たちの憩いの場となっていた。近年、塾生たちが「ユキチ」(図書館前の福澤諭吉像)を待ち合わせ場所としているように、80年代は「噴水で」が定番だったと聞いたことがある。1984年4月のオリエンテーション時の噴水をみると周囲には生垣がつくられてベンチはない。40年の間、時代時代で異なった顔となっていた噴水、在学年代によってイメージは違うかもしれない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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